一人が基準。
今はリアルで会う人間も極端に少なくなったので聞かれることも無くなったこと。
『寂しくないの?』
私に興味を持ってくれた人の多くは、そんな問いを投げかけてきたもの。
私も人間なので、不意にそういった気持ちになることは、今でもあったりするが、それも数秒で終わる。
今日はそんなお話。
元々は・・・
元々は寂しがり屋であったと自覚している。
末っ子であったこともあり、狂犬の様な兄二人にイジメられたこともあったが、他の周りの大人たちには可愛がられていたと思う。
今はオッサンであるけれど、子供の頃の数少ない写真を見ると、本当に可愛かった(`▽´)
たまに近所で遊んでいると、知らない男にニンジンぶら下げられたり、中学生、高校生くらい?のにーちゃんにマンションの裏の敷地に連れ込まれそうになったりする位。
(それについていってしまっていたら、私の人生も大きく変わっていただろう(( ;゚Д゚)))
年上の女性にも可愛がられた経緯もあるので、私の好みの女性は歳上が基本というのは、そんな幼少期の記憶から成り立っているのかも知れない。
って、話が逸れた^^;
なので、実は人には不自由していなかったと思われる。
だけど、正直、私は分別もつかないアホだったので、結局は周りに流されてしまい自分本来のやりたいことが出来ないことに苛立ちを感じていた。
もちろん前述したように狂犬の様な兄二人の影響下にある私は心の中では首を傾げていても、自分も『それが男としてカッコいいことなのだ。』と思い、悪さをすることもあった。
まあ、子供の頃は真面目な男よりも、不良が女の子たちからもモテる気配があるしねぇ。
(今はどうだか知らないが)
つるむ奴らもそういう人間が多くなっていく。
すると集団心理が働いて、自分が本当にしたくないことだったり、言いたくないことなども外に出してしまうことが多々起きてくる。
悪仲間は決まって、『仲間』『ダチ』ということを強調して、協力させようとする雰囲気がある。
本当に強い結束で結ばれている子たちもいただろうけど、少なくとも私の周りにはいなかったと感じる。
なので『なんだよ・・・それ・・・。』って幻滅することも裏切られたと感じることも多かった。
結局、それって自分に嘘をついていることになるし、周りにも嘘をついていることになる。
自己嫌悪感が沸々と湧いてくるのだ。
よく大人になって聞くのが
『子供って自由でいいよなぁ・・・子供の頃に帰りたいなぁ・・・。』
確かに共感できる反面、実際はそうではなかった。
少なくとも私の中ではね。
早く大人になりたいと思っていたよ。
・・・こんなトコから出て行きたい・・・何でこうなっちゃうんだろう?
私は割と早い段階で、そう思っていた。
誰にも言えないままに。
何故なら自分がランドセル背負った子供だったから。
もう一つの理由
寂しくはなかったけど、実はそんな鬱屈した気持ちを持っていた私。
そんな時に影響を受けたのは、漫画やアニメなどの登場人物。
流れ星・銀に登場する主人公の熊犬・銀のオヤジであるリキ。
ドラゴンボールの主人公・悟空の本当の父親であるバーダックとかね。
聖闘士星矢の一輝も好きだったなぁ。
あの頃ってそういった人物、登場キャラに注目して好きになる子はあまりいなかったと思う。
やっぱり目立っているヒーローに、みんなは恋焦がれるしね。
でも私はそうではなかった。
何故かと言えば、孤独感が滲み出ている生き方をそこに感じたから。
そして実はそれって大変ではあるけど、自由(当時はこの言葉の意味そのものも知らないが・・・)なんじゃないか?って思って止まなかったから。
もっと10代の終わりに、読んだクライムノベル・Cの福音の主人公は徹底的に『たった一人』に拘った人物だった。
これにも私は惹かれた。
当然、私は10代の頃は周りが悪い人間が多かったし、狂犬の様な兄二人を見ているので、絶対に自分はそうなりたくないと思っていた。
だから犯罪に手を染めるということは嫌だったけど、孤独に拘って誰にも頼らずに生きている人、フィクションの中の人物にはどういう人物像であれ、素直に惹かれた。
流されるわけにはいかない
私が惹かれた架空の登場キャラクターそのままの生き方をするということは出来ない。
が、そんな影響を持ったまま私は成人して、色々と経験していく。
人は一人では生きていけないのは重々、承知していることを踏まえながらなので、結構、辛いと感じたことも多々あった。
だいぶ時は流れて、2015年は人生の転機だった。
多くを書くことは今はしないが、再び一人なる決意を固めた。
その切欠は極々、単純な感情。
『おまえらとはもう一緒にいれねえよ。』
と、いう気持ち。
私は別に子供がいるわけでもなかったからフットワークが軽い。
過去の時間を多く共有した繋がりの『情』のみで繋がっていたけど、そのせいで犠牲になった大事な人の存在を間近で見ていたから。
この時にはもう完全に分かっていたことがある。
間違いなく自信もって言えるのが・・・
運というのは、人が持ってくるもの。 幸運・不運に関わらず・・・
誰もが自分の幸せを願っている。
その幸せを掴むアプローチが合致していなければ、どちらかが負担を強いられる。
ならば、その関係は相性が悪いということになり、一緒に居ない方がいいのだ。
色々と俺を戻そうと悪い言い方をすると画策じみたことをされたことはあったけど、無視と拒否の姿勢を取り続けて、晴れて自分の生活を手に入れた。
自分一人ってのはさ・・・。
確かに全部、自分でやらなければならないから、大変だよ?
でも、その分、他人の影響を受ける必要もない。
誰かの為に何かをするということに、義理はあっても義務は生じないのだ。
逆に言いたい時もあるくらい。
『てめえ一人じゃ何もできねえくせに。』
特に群れないと気が済まない属性の人々。
飯を食うにも便所にいくにしろ、誰かと一緒じゃないと満たされないような極度の一人恐怖症の奴ら。
誰かの悪口をいったり吹いたりするやつも、基本的にそいつ一人の時は、妊娠した猫みたいに大人しかったりする(`ー´)凸
『ぼっち』っていう蔑称があるけど、これってそういう属性の人たちが作り出した言葉なのかもしれない。
私は有難く『ぼっち』は推奨するスタンスですよ。
だって集団に入ってしまえば、寂しくは無くなるかも知れないけど、埋もれる。
イコール、自分の自由はそこになくなる。
基本、孤独で生きるならね。
寂しさは常にあるけど、人に影響される要素が少なくなるから、自分の自由に物事を判断して決断できるのだからね。
フットワークも軽いから、対処もしやすいし。
孤独が好きになれた時点で、貴方は最強になる。
— けーご (@KeigoHoriguchi) August 7, 2019
流されていれば、寂しさからは解放されるが、埋もれる。
埋もれた瞬間、一人ではもう何も出来なくなる。— けーご (@KeigoHoriguchi) July 28, 2019
誰にも相手にされない幽霊の様な人間は、ある意味、最強。
— けーご (@KeigoHoriguchi) July 17, 2019
因縁つけられたり、煽りくれられたり、首つっこまれても
『オメーに関係ねえよ。』
と、ハッキリ言える強さがなければ、食い物にされてしまうだろう。
— けーご (@KeigoHoriguchi) August 17, 2019
だから、私はこの文言を自信をもって言えるのです。
今はだいぶ一人で何かをするという事に関しては、蔑まされることも少なくなったと思う。
段々、逆に群れて偉そうに調子こいている人種が、『カッコわりぃ~m9(^Д^)』って言われる常識がやって来るのかも知れない。
それは私にとっては大いに望むところではあったりするのですが^^
おわりに
何で今日、こんなことを書いたのかと言えば、特に理由はない。
単純に気が向いたから。
だから、言葉に気を使っているわけでも無いので、読み辛いところはいつも以上にあったかも知れない。
んと~、別にいつも誰かと一緒という人を卑下しているわけでもない。
私は田舎の叔母さんをリスペクトしているけど、私と全く正反対。
この人の影響を強く受けていたけど、叔母さんは人との繋がり、人を大事にしてマイナス地獄からビジネスオーナーにのしあがって今も商いを継続できているので。
その力の凄さは分かっているんだけど、敢えて私はこうしているってだけの話。
私も少なからず人との付き合いはあるし、その存在に感謝してる。
そしてどれだけ救われているかと思っている。
些細なことだったりするんだけど、そっちの方が強く印象に残っている。
ただ、最近ね。
やはり孤独を大事にしているし、それはおそらく一生変わらないけどね。
やっぱり自分と違う肉体をもった他人と心が通ったと感じた時。
すごい恍惚感? 充実感? があると思ってね。
孤独だけを追求するのもいけないのかもなぁ・・・と思っている今日この頃。
えーと・・・話が脱線しやすいし、理解に苦しむ記述もあっただろうけど、許してねorz
最後まで読んでくれてありがとう。
見つけてくれてありがとう。
では、またねぇ(´Д°)ノ