2月がはじまりましたが、一か月経つのも早いもんですね。
令和2年になってからは、それまで息していなかったSNSとかを毎日、投稿していたりしますが、やっぱり気を入れてやると楽しかったりもします。
昔とはやっている目的は全く違うものになっていますが、やはり楽しいところは楽しいです。
昨日は割とラジカルな記事を書いたので、今日は少々、違ったことを書こうか。
と、いっても、相変わらず心の話になってくるわけですが・・・。
ストレスはどんな生き方をしていたとしても、少なからず生まれる膿のような情動。
その昔、テレビ番組でムツゴロウさんが言っていたことが、今になってよく分かる。
『本当はストレスってのは、良いものなんだよ。』
あくまで絶対に感じてはならないのは、『過度なストレス』であって、『適度なストレス』は換えって活力を促す切欠にもなる。
少々、話は変わるが、こんなことを経験したことは無いだろうか?
『やってみて思ったことは、凄く辛い・・・やっぱり、辞めようかな?』
こんなことは私は昔はしょっちゅうあり、それは学びや恋愛、仕事などでもよくあった。
興味を持ったから踏み切ったけど、実際にやってみて思ったのは、結構、辛かったということ。
うん・・・辞めたいなら辞めればいいし、そっちの方が後々、何かと都合がいいものだ。
なので、周りから三日坊主と罵られたり、鬼の首を取ったように言われてもキニシナイ方が賢明だ。
これは要するに言ってしまえば、
『自分とその物事、その人間、その遊びなんかが合わなかっただけ。』
である。
だけど、例えば
『凄く楽しそうに見える。(#^.^#)』
『凄く魅力的だな・・・(^_^)』
『そんなに稼げるのか?!(/・ω・)/』
と、いう感じで、人を意識して特定のモノに興味を抱いて行動するというのが、我々、人間だ。
だけどいざ入ってみると、ストレスだらけだったりする。
言葉を変えれば、これは『失敗』というのかも知れないし、どうせ辞めちゃうなら『無駄』だったのかも知れない。
あの人には良かったけど、どうして私にはダメなのだろうか?
と、いうのは前述した様に『合わなかった』で済まされる。
それ以上の答えもないが、よく言われる諺が答えでもある。
『隣の芝生は青く見える。』
と、いうことだ。
例を出すとある一人のマーケッター。
世界を股にかけて、何十億というお金が動く経済活動を行っており、自身も幅広く数多くの実績を作った男。
そんな彼に憧れて、彼に師事し経済的に一応の成功を収めているといえる若人も数多いと言われている。
しかし、あくまで自分自身が
『人と接することが好きで、何でも売ろうと思えば売れる人間になりたい。』
と、いう願望と欲望が無ければ、彼の100分の1の実績も出すことは叶わない。
『人と接することはあまり好きではないし、人に売りつける行為そのものが嫌い。』
そんな気持ちがあるのならば、彼の世界においてはセンスがない人間であり、些細なことでも苦痛を感じて過度なストレスになる。
私からすれば、彼の世界は
『人、人、人、人・・・』
で、不自由極まりないと思うので、全く憧れもしないし首を傾げることばかりだ。
もちろん経済的には私は彼の足元にも及ばないとは思うのだが、なりたいとは全く思えないのだ。
私が唯一、投機家で尊敬する男は、そんな前述したマーケッターとは無縁の生活をしている。
正に『廃人』『怪物』のような男だが、常に一人で考えて一人で決断を下し、一人で重圧を背負って、莫大な成功を収めた。
前者のマーケッターと私が尊敬する男、おそらくどちらも世界は違っていて、お互いがお互いの世界に飛び込んでしまえば、過度なストレスを抱いて続かないであろう。
続かない=成功は出来ないということである。
私の話をすれば、私は汗水流して身体が汚くなることに躊躇も無いし、逆に爽快さを感じる。
会社勤めをしていた頃は、上場企業だったとはいえ、身体を使う仕事で夏なんかは汗だくになり、半日以上、塵埃が漂う空間で働いていた。
ハッキリ言って、身体を使う仕事は好きだし、会社の仕事は好きだった。
逆に頭を使う土方といっていいSEとかの方が、仕事というのであれば明らかに不健康なのではないか?と思う位だよ。
だけど、おそらくデスクワークに慣れた人間からすれば、私がしていた仕事というのは抵抗があり辞めていくだろう。
まあ、私はどちらも経験してきた男ではあるが、仕事としてならば、汗水流して身体を使って、日によっては『チ〇ポの位置を直す力もねえ(@_@)』くらいに疲れる方がたまらない。
実はこれは余談であるが、心の風邪ともいえる『鬱』を治すにもうってつけだ。
会社勤めしていたとき、よくいってたっけ・・・。
『金貰いながら、ダイエットできるようなもんだから、ボロイ仕事ダネ `(´Д°)ノ』
まあ、そう言って楽しく自分の仕事を好きになっていた。
今の私の経済活動は全く相反するものであるし、全く身体を使うことはないけどね。
あくまで仕事としてなら身体を使うことが良いということで、私の書いている内容に関して留意して欲しい。
人によっては、凄くストレスを感じることも、別の人にとっては何でもない。
場合によっては楽しいと思えたりもする。
つまりストレスの形というのは、自分自身の価値観や、やってきたことの経験などによって変化していくアメーバの様な概念なのだ。
あれだけ嫌いだったことが、今では得意ってこともあるだろう。
嫌いであったならば、それをやっていることは間違いなくストレスを感じていた筈。
だけど、それが得意になって今の自分を助けているのならば、その過程では確実に何か素晴らしいことがあったに違いないのだ。
嫌いなことをやっていたけど、それがかえって人に認められて褒められたとか。
嫌いだったけど、分かってくると、凄く役に立つことだったし、自分の為になると思った。
好きとか嫌い、ストレスを感じる感じないというのは、所詮はその程度であるのだ。
突き詰めていくと、魂の在り方や色なども関係してくるのだが、それは長くなるので割愛。
何にせよ、ストレスを感じやすい人間というのは、そもそもその9割型は自ら生み出しているといってもいい。
ならば、自分自身が変わるしかないのだ。
無理に周りを変えようとしたり、自分を押し付けようとするから、摩擦が生まれて更なるストレスを生み出すことになる。
誤解しないで欲しいが、全てを我慢しろなどということではない。
明らかに向こうが間違っているし、向こうが傲慢無知のアンポンタンだったら、一々、自分が変わる必要などはない。
どうしても嫌ならば、その場から立ち去るというコトで済むし、付き合わなければいいだけの話だ。
特定の物事ならば、辞めてしまえばいいだけ。
世界には経済活動の種は30000種類あると言われているし、自分と合う可能性の高い人間も少なくとも3100人はいる。
多数の娯楽があり、それに参加するのもしないのも、自分の自由であり、お金も時間も然程かからずに楽しめる娯楽は無数にある。
だが、もしもストレスを感じやすいのならば、自分自身の心を能動的に自分で変えていかない限り、結果的に何をやっても同じことになる。
その為には日頃からの言葉掛け、モノの見方、自問自答を習慣づけて、昨日とは少し違うことをしていったりすること。
すると、数年後には全く違う自分になっていたりする。
最後に私のこと。
今の経済活動の内容などは、10年前はむしろ忌み嫌うもの種類だった。
元々、身体を使う仕事が好きだし、どこかミーハーなところがある事も好きだった。
今は全てが相反している。
何故ならば、長期的に見た自分の一生の経済活動の在り方として見た時、これほど合理的で自由で美しい世界はないと思ったからだ。
決して人にはオススメしないし、今はまだ具体的に何をしているのかを言う必要は無い。
が、そんな世界に身を置いている1人の世捨て人の戯言として、読んでもらったのならばこれ幸いです。