相変わらず自由気ままの私ですが、能動的に色々と動いている感じ。
深い意味は無く、何となくそんな気分になったからというだけなんですが、今日は『余裕が余裕を生む』という一つの姿勢についてのお話。
これまでにも散々、言ってきていることですが、『知っていても出来なければ意味が無い』ということにも通ずる。
そして、余裕を生み出す為に重要なことををやることによって、生活のあらゆるところで違いが時間と供に表れていく。
もしかしたら、人によっては一番、大事なことかも知れません。
何故なら、『最初が一番、大事。』だから。
過去記事にも時折、書いていることですが、大事なことは何度でも繰り返します。
『人間の器の一つは時間。 1日24時間、1年365日しかない。』
と、いうこと。
つまり、有限であるというコトですね。
ですが、人間の潜在的な情動の中には、『空白が出来ると、そこに何かを足そうとする。』という気持ちが強く出てくる。
よく例に挙がるのが、買い物カゴ。
スーパーにいって、買い物カゴを渡された場合、そのカゴの中を満たそうと、然程、必要と感じない商品をついでに買ってしまう。
何も考えずに刹那的な情動のままならば、空白を満たすという潜在的な欲望のままにお買い物をしてしまうということですね。
それは自分の中に空白が出来てしまったからですね。
空白というのは、私の考え方からすれば『余裕』ということにも繋がります。
人付き合い苦手だから、友達あんまいない。
使っていない部屋が沢山あるのよね。
お金はあるけど、使い道がないなー。
私、知らないこと沢山あるから。
うーん・・・暇だなぁ・・・。
いつでもいいぜ?何でも出来るよ?
『友達あんまいない。』というのは、『ぼっち』というアホな言葉があるように、一般的にはネガティブに見られがち。
ですが、友達がいないということは、それだけ自分の為に使える余白が多いということであり、非常に強みであると思っています。
自分にとって不必要なことにも影響与えられないというメリットにも繋がりますし。
『使っていない部屋が沢山ある』というのを例に出しましたが、これは自分の居住スペースに空白が多いということなので、それだけ物理的な生活環境に余裕があるということです。
(まあ、こういう人にはこれから続く内容というのは読む意味は無いかも? だって、既に出来てしまっているから。)
部屋に例えましたが、これ他のあらゆる物に言えること。
車使う必要が無いのに、車持ってますってのは、非効率だしマイナスを生む要因。
家族いない、子供いないのに、見栄の為にマイホーム買った~っていうのは、私からすればアホの極み。(まあ、人の自由ですけどね)
物に関して言えば、多くの誘惑が網の目の様に張り巡らされているので、非常に注意が必要だし、自分をよくよく知らなければならないとは思います。
『お金はあるけど使い道がない。』と、いうのは、現代人にとっては素晴らしいと言える。
何をどう綺麗事をいっても、現代人の多くは自分の生活の為のカネに焦点を絞って、他のリソースを消耗している。
お金があるということは、自分自身もそれだけお金を貯めるという努力をしてきたから言えるわけ。
なので、現代人の根源的なネックの一つをクリアしているので、色々と出来るステージに立っているということです。
『私、知らないこと沢山あるから・・・。』のくだり。
これだけの情報化社会になって、問われているのは情報の取捨選択。
本当に自分に大事な情報だけでよく、あとは全部、ゴミ情報、スパム情報だという認識でよいと思う。
自分が大事と思う情報だけで、心(脳)が満たされているならば、それは迷いはなく集中出来るということでもありますから、成功するのが当たり前になりますね。
『うーん、暇だなぁ・・・』と、いうのは、人間の最大のリソースである『時間』に沢山の余裕があるということ。
暇=時間の余裕があるからこそ、やりたいことが出来るわけなので、積極的に暇を作り出しに行くという姿勢は非常に有効的といえます。
『いつでもいいぜ?何でも出来るよ?』に関しては、これは気力という意味でこういう書き方をしました。
気力というのは、言い方を変えると活力とかやる気ということにも言えるけど、私にとってもこれはリソースの一つとしています。
人間関係には満たされている。
必要な物には満たされている。
生活していくのに困らないお金もある。
色々と情報(知識)も潤沢に備わっている。
沢山、使える時間はある。
と、いう余裕があったにせよ・・・。
『あー・・・何もやる気ねえな(;^ω^) オナニーして寝るか。。』
って感じで、自分自身に何らかに対しての活力が起きなければ、結局は産業廃棄物ですよ(ぶw
まあ、私、実はこういう時期ありましたけどね~(`▽´;)
しかし産廃の様な時間の使い方って、ある意味、最も贅沢な時間の使い方であると思っていますが、それは別の話。
何にせよ私が凄く大事にしているのは、リソースに余裕をもたせる為の準備期間だったり、環境設定ということ。
その根源となる行動というのが、『捨てる』ことですね。
ちょっと長くなりますが、私の例を出しましょう。
10代後半から20代前半にかけて私は音楽をやっていたりして、人には本当に不自由していなかった。
携帯の連絡先も現在の50倍くらいは登録者がいたくらいでしたが、様々な弊害に満ちていたと思うし、私自身も自分が自分でいられないという状況も多々あった。
なので、楽しいと思うことはあったけど、結局、何を残すことが出来たのだろう・・・と、いう虚脱感と焦燥感が入り混じった気持ちを感じている。
物に関して言えば、とにかく色々と買い揃えて、色々とやった。
だけど、結局、物なんてものは20年ずっと使い続けられるもの、飽きないものというアイテムの方が少ない。
ある時期に『人間には思い出しか残らない』と悟ったこともあって、物に関する見方は非常にドライになりました。
そして、自分が欲して手に入れた物が、自分自身を圧迫していくということも経験しています。
(これに関しては非常に掘り下げたいので、これに特化した別記事を書く予定)
なので、初っ端から物に関しては厳しい見方をしていたりしているので、余計なモノというのは無かったりします。
だから、私の部屋はいつも小奇麗だし、落ち着く居住スペースを保てているのだと自覚しています。
お金に関して言えば、まあ、10代は無くて当たり前であったとしても、20代の時は色々と自分自身がアホだったこともあって、当然、経済的に苦しかったです。
一人になってからですかね~。
ブレイクスルーしたと言えるのは。
毎日、フォワグラ乗せたステーキを食える状態になったが食べない。
(つーか、メッチャ、好きですね)
ベンツ買えるくらいになっても、私は買って乗らない。
(いい車だと思うけどね)
キャバクラにいって綺麗なネーちゃんをはべらせることが出来ても利用しない。
(楽しいんだろうけど、個人的にみっともねー男かな?って思う。 仕事としてやっているネーさん達は大変だろうな・・・とは思ってる。)
それらは意味が無いどころか、自分にとってマイナスを生む要因となるのでやらない。
『出来るんだけど、やらない。』という姿勢を保っている。
だって、私は格闘家でも美食家でもないから、所謂、力の付くものだったり、豪勢な食事を摂る必要は全く無い。
私は芸能人とか有名人の様にステータスを維持しないと、経済効率が上がらないというシステム上で生きていないので、ベンツに乗る必要全くない。
低燃費で動ける自分を作る、貯めることが楽しいと思える自分を作り、貯めたお金を実益の伴うものに、奴隷の様に使っていく。
だから、世捨て人であっても、自由に生きれているという状態なんです。
情報に関しては言わずもがな・・・でも、敢えて言えば、
『極々、僅かでいい。』
ってことですね。
時間の余裕と気力を作る為に、日々、心掛けていることはある。
例えば『捨てる』ことであったり、気が付いたことは即、『やる』ってことだったり。
かつて私とゲーム上での友人だった女性が、いい文言を教えてくれたね。
『やれば、終わる!』
彼女は自分に向けて、自分を鼓舞する為に座右の銘にしていたけど、その一言が私の活力を促進するお薬になっていたこともありますよ。
気力云々に関しては、時には意志の力も必要となってきますが、これはこの記事のコンセプトと合わないので、別の機会に。
時間がとられることというのは何なのか?
とられてそれが本当に自分にとって有意義なのか?何なのか?
これを考えて、人・物・お金・情報・時間・気力をどう使うかを考えて、取捨選択する。
これが『捨てる』ということなんですね。
時間の使い方コンサルタントとか、整理術とかで稼いでる人もいるけど、ハッキリ言ってそれで学ぶことすら無駄だと思っています。
そういった人たちの経済活動を邪魔する気はないから、責めはしないけど、そんなのにお金と時間突っ込むより、日々の心掛けが重要で凄く簡単に出来ちゃう。
自分がテンション下がったり、他のリソースを消耗してしまっている人間とは縁を切る。
本当に自分が必要じゃない『物』は買わないし、持っているなら捨ててしまい余白を作る。
無駄を削ぎ落してお金を稼いで、貯まったら自分に合った実益の伴うところにお金を使っていく。
本当に自分が必要とする結果に繋がる情報だけを収集して、あとは『見ない』『読まない』『信じない』・・・加えて他の情報の蓄積も捨てる。
これだけやれば自分の時間に余裕が出来るのは当たり前だし、出来ない方がどうかしているわけです。
多くの場合は時間に余裕がないのは、仕事にとられているというのが最も多いんですが、多くの人間のスタートは学校いって、仕事を与えられるということからですから。
別にそれは普通のことだけど、そこからどうするかがポイント。
最初が一番、肝心というのを冒頭で書きましたが、まずは『捨てる』ことから始まりますね。
これをしないで器の中に足そうとするから、うまくいかないんです。
だって、器がはちきれちゃうじゃん(^_^;)
と、今回もだいぶ長くなりましたが、細かく書くと結構、膨大になってくるんで、今日はこの位に。
あくまで自由が良いと望むのであればの話ですが、私はそうしてきたという一つの簡単ではなりますが道程を加えた姿勢ということで、留意してもらえると嬉しいです。