2019年8月5日投稿分からの改作。
と、いっても、言ってしまえば、ついこの間、書いたようなもんなので、手直しするところも無かったりしますが。
すごく大事なモノの見方だと思うので。
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相変わらず相場をガン見して、トレードを繰り返している『けーご』です。
この半年間で私もだいぶ考え方が変わってしまい、過去の自分を否定してみたりしていますが、基本的にはセルフイメージは高く持っています。
今日のタイトルは何となくつけたものですが、ちょっと小話と好きな作品のことでも。
蜘蛛の糸と言えば?
蜘蛛の糸と聞いて、最初に思い浮かぶものは、芥川龍之介の小説と感じる人は多いでしょう。
内容は極悪人であったカンダタって男が地獄に堕ちた。
犬畜生にも劣る行為をしでかしてきたカンダタであったけど、過去に一匹の蜘蛛を助けたことがある。
釈迦がそれを覚えていた為に、情けをかけてカンダタの前に一本の蜘蛛の糸を垂らして、地獄からの脱出を促した。
カンダタはそれを見て、もちろん地獄から逃げる為に蜘蛛の糸を掴んで天上を目指した。
しかし、他の罪人たちもそれに気づいてカンダタの後を追いかけることになる。
当然、カンダタはたった一本の蜘蛛の糸に、後に続く多くの罪人が自分と同じ様に登ろうとすれば、切れてしまうことを心配する。
なので、カンダタは感情を剥き出しにして、後に続く罪人たちを追い払おうとする。
罪人たちも地獄から脱出したいから、カンダタのいう事を聞こうとはしない。
我先にと脱出を試みる罪人たちによる地獄絵図であるが、重みに耐えきれずに蜘蛛の糸は切れてしまう。
地獄からの脱出の道は絶たれた。
その光景を見ていた釈迦は、たった一本の蜘蛛の糸をめぐって、争うカンダタと罪人たちを卑しく思い、その場を去った。
と、いうような内容。
羅生門と並ぶくらいに好きなストーリーですが、それと同時に突っ込みどころも満載だと感じていたりします(笑)
Ifを考えるならば
まあ、私の考え方からすればね・・・。
つーか、そもそも『地獄に堕ちるようなことすんじゃねえよ。』とカンダタに感じる。
加えて『気まぐれで情けをかけて地獄をかき乱すなよ。』と釈迦に思うわけです。
どちらにせよ極悪非道なカンダタも釈迦も生きているという上では、エゴからは逃れられないという考えさせられる名作なんでしょうね。
そして、人によってその物語から様々なことを学び、感じ取れるとも言える。
短い短編ですが、色々なことが集約されているから好きです。
例えばカンダタが・・・
『蜘蛛の糸が切れちゃうから、一人一人、順番を決めて登ろう! (‘ω’)ノ』
と、リーダーシップを発揮していたら、上で見ていた釈迦も更に情けをかけていたのかも知れない。
まあ、ストーリー設定上、地獄からアウトレイジな奴らが秩序ある世界に舞い戻ってしまう。
それはそれでヤバいわけで考えられませんけど、何にせよ釈迦が一本の蜘蛛の糸を巡ってのカンダタの有様を卑しく思ったことで、そこで終わってしまうわけです。
今だから思う蜘蛛の糸
今の世の中、たった一本の蜘蛛の糸にしがみつかないと生きていけないとか、幸せになれないと言ったことは無いと個人的には思う。
もちろんね、物事によっては
『俺には・・・私には・・・これしかない!』
と、いう様に、退路を断った決断は結果を出すための最速の道でもあるので、覚悟決めて一点集中は非常に有効的な行動理念となる。
ですが、『・・・本当にそれだけしかないの?』と、揺らぐことも必要だったりする。
多くの場合は、自分でそう思い込んでいるだけ・・・と、いうことも少なくないんですよ。
まるで一本の蜘蛛の糸に縋りつくかの様に、自分の道を狭めてしまった時に、糸が切れてしまった場合は長~~い人生に多大なロスを生んだり、ゲームオーバーになることもある。
それは私にとってみれば、ギャンブルそのものなんですよね。
(確率は50%50%に思いますが、ギャンブルである以上、回数を重ねていけば100%に近い確率で負けます。)
もちろんね・・・『他にももっと頑丈な蜘蛛の糸があるのかな?』とか、
『その蜘蛛の糸、何本も欲しい!』と、フラついていても全く人生うまくいかないわけですがね(笑)
じゃあ、『どっちだよ?!ヽ(`Д´#)ノ』って話ですが、その答えは自分で見つけるしかない。
だって、自分の幸せは自分しか分からないからですよ。
おわりに
最近は投資・投機に再び熱を入れ出している私。
なので、数少ない価値あると思われる情報や自らと向き合って、実践している具合。
ですが、2017年に投資をやり出してからというもの、それらに付随すると思われる情報収集をしていた時期。
特にバカッター界隈などでも何と首を傾げることが多かったか・・・と、思い出す過去も多いのです。
そんな現在、よく聞いている曲があってね。
このバンドは既に解散しているし、推しているわけでもないんだけど、詩も曲も秀逸。
で、この曲の名前が『蜘蛛の糸』というので、連想したイメージと自分の気持ちなんかを込めた駄文を、何となく久しぶりに書いてみたくなったということです。
ちなみに、かなり余談で余計な事ですが、経済活動に関して、一本の蜘蛛の糸しかないというニュアンスで語ってくる者達は、大概はハメコミ屋です(笑)
多分、それにのってそういう者達の垂らした蜘蛛の糸を掴んでしまうと、不幸になります(´Д°)
と、私も釈迦やカンダタと負けないくらいに、エゴ剥き出しの文章でしたが、率直で正直な内なる想いということで。
——-ここまで——-
エゴがあるからこそ、それが欲望と野心に繋がり活力になる。
しかし、エゴというのは、それと同じ位に自らを滅ぼす要因を作り出してしまったりします。
強欲・・・傲慢・・・とかね。
『蜘蛛の糸』はエゴをテーマに描かれていると理解しています。
が、実際には人間の根源的な生存欲求に繋がっているとも思えるわけで、この辺は人によって解釈が分かれるところであるでしょうが、それはそれとして。