その刹那の花が咲く時まで

前回の投稿からだいぶ経過していましたが、相変わらず日々、充実している『けーご』です。

 

休みの日は屈託なく過ごしていて、以前の生活とはまるで違いますが、幸福感に満ちています。

 

不安という二文字が限りなく無いというのは、やはり幸せの重要な要素なのかもしれない。

 

それは冷蔵庫の中のゴキブリの様な生活とも言えるのですが、今はまあ、それもいいかな?

 

刹那

今回の記事のタイトルに込めた『刹那(せつな)』という言葉。

 

非常に好きな言葉であり、特に春に設立したコミュニティ内においても時々、出てくる言葉であったりする。

 

刹那の意味というのは、『その瞬間』『その時』という意味合いにおいて、私は使っていました。

 

それは間違いではないのですが、どうやら1/75秒という時間単位を指すらしい。

 

それと同時に仏教の用語であったということも最近知ったばかり。

 

とはいうものの、やはり私は刹那という言葉は、現代的にこういう時に使うと思っている。

 

自分にとって重要な局面が到来して、すぐに過ぎ去っていく状況

 

刹那の連続によって

そもそも刹那=瞬間といってもいい。

 

つまりこれは時間のことであり、沢山の刹那によって自分が作られていき、他人にも影響を及ぼしていく。

 

そして、自分のあらゆるリソースの上げ下げが繰り返されて、自分の人生が決定していく。

 

その際、最も重要なことは

 

自分が楽しい人生を創れていたかどうか?

 

であるのだ。

 

刹那的に生きるのであれば、ハッキリ言ってこれは堕落の道を歩んでいくことになると個人的には考えている。

 

その時の状況に流されていけば、多くの場合は他人の価値観を押し付けられて、食い物にされることが多い。

 

この日本においても、日本なりの邪悪が蔓延していると私は思っている。

 

そんな状況にならないためにも、刹那的に生きるということは回避するべきであり、意志を強く持つことが重要だ。

 

その刹那の時まで

しかし、私は刹那という言葉が好きであり、心躍らせるキーワードであると思っている。

 

何故ならば、刹那的に生きるのではなく、自分にとって重要な時・・・その刹那の為に過去・現在があると思っている。

 

時間の流れは決して止めることが出来ないから、決して自分が納得できないことに賛同する必要は無いし、傾聴する必要もないと思っている。

 

賢者という属性の人間たちには、それぞれに思い描く未来がある。

 

その未来の為に自分自身が日々、何かに耐え忍んだり、手を止めることなく時間と気力を対価に己を高めている。

 

それもこれも、そんな思い描く未来が手に入る刹那の時がやってくるのを狙っているからに他ならない。

 

その刹那の時が『いつ、何時何分何秒』に訪れるかなどは、自分にも他人にも誰にもわからない。

 

しかし、その刹那の時を自分の元に呼び込むには、自分自身が周囲の別属性の人間に流されることなく、己を高めていかなければ決してやってはこないのだ。

 

刹那は一瞬で過ぎ去る。

 

まるですぐに枯れる花のように。

 

しかし、それは狙って起こすことが出来ないから、貴いものであり、至福という感情を得られるものなのだ。

 

人によって、刹那という言葉の使い方は違うだろう。

 

私はそんな風に刹那という素晴らしく心躍らせる言葉を使っており、自分なりの意味合いを定義していたりします。

 

つーか、セツナって響き的にも超カッコよくない?

 

儚い感じもするし、ちょっとキザだしね(笑)

 

 

最後まで読んでくれてありがとう^^

 

感謝ですよ。

 

また気が向いたら更新してみます。