セミ・オートマティック

全く楽しさもないけど、これが最強の状態だろうなって思うことがあります。

 

今日はそんなお話をしたいと思う。

 

これを3日、21日間、3ヶ月、1年、3年、そして一生、出来る人間こそ怪物といっていいのかも知れない。


私はよく使う言葉に『廃人』というのがある。

 

非常に少ない物事を集中して、憑りつかれた様に行っている人を特にそう呼んでいる。

 

『オタク』とも意味合いは近いけど、『オタク』の場合はそこにキモさも加わっているので、この限りではない。

 

私にとっては、最大級に近い誉め言葉であり、蔑んでいっているわけではない。

 

まあ、本当に一般的な意味の『廃人』という人間もいますが、それは別の呼び方をしていたり・・・。

 

『頭がバグってる。』とか『壊れ』とか『頭、膿んでんじゃね?』・・・って、話が逸れそう(^_^;)

 

それはおいておいて・・・。

 

実は最大級の誉め言葉として私がよく用いるのは『バケモノ』とか『怪物』という言葉。

 

最近、特にこれは凄まじい実績を挙げている人間に用いられる言葉になりましたね。

 

あとは『神』って言葉も凄い人を賛美する時には使われる。

 

タイトルのセミ・オートマティックというのは、こういった人間たちに通じる一つの心の在り方のお話。

 

極々、普通の情動で一喜一憂という言葉がある。

 

これが当たり前であり、これが無ければ人間ではないと言えるかも知れない。

 

嬉しいこと嬉しいと素直に喜びを表現し、嫌なことには凹んで誰かに気持ちを打ち明ける。

 

正直、これが普通だし、それが非難されることもない。

 

まあ、愚痴・不平不満ばかりの人間は嫌なので、そういうヤツはNo Thanksですが。

 

何にせよ『一喜一憂』するからこそ、人生がハッピーに感じるわけで、これに異論の余地はありません。

 

あくまでこれを念頭に置いた上で進めます。

 

これは去年までTwitter上に流し続けていた私の自動BOTに登録している文言の一つ。

 

自分自身が他人から凄いと言ってもらった物事に従事している時は、完全にこのパターンにハマっていた時。

 

当の私は

 

??、何が凄いんだろう・・・(´・ω・`)

 

と、思うこともあった。

 

物事に打ち込むというのは、自分がしたいからするのであるから努力という言葉も好きではない。

 

楽しいからやるわけであって、あとは継続する為には習慣になれば、時間とともに確実にその物事に対しては凄くなる。

 

これすら当たり前のロジックであると思ってますが、もうちょっと掘り下げてみようか。

 

いつも私たちは日常で必ず行っていることがある。

 

それに対しては全く努力も必要なければ、モチベーションも一切、必要ない。

 

淡々とやっているし、そこには辛さも楽しさも無い。

 

歯磨きとか、トイレにいって用を足すとかですね。

 

じゃあ、歯磨きのプロなのか?とか💩するプロなのか?と、いう話ではないので(笑)

 

結果を出したい物事が完全に習慣になる。

 

そして、しっかりとトライ&エラーならびにPDCAサイクルを回すことも習慣になれば、うまくいかない方がおかしい。

 

しかし、ちょっと物事がうまく行き出すと、本来持つ情動が働いてしまう。

 

そして、それが結局、退化したり余計なことを生み出してしまうということです。

 

すると結局、うまく行っているものもうまく行かなくなり、こんな筈では無かった。。となるわけですよ。

 

この辺を逆に意識してみるといいかも知れない。

 

人によってはそれを我慢とか忍耐というのだろうけど、それでもいい。

 

ただ習慣にしてしまえば、身体が勝手にそうなっていく。

 

『やる』という情動そのものは習慣化した自分の心が自分の肉体に命令を出すので、ここはオートではない。

 

だが、『やる』という情動そのものは、オートによって動いているわけですよ。

 

何が言いたいのかというと、自分が結果を出したい物事があるのならば、言葉によるモチベーションを阻害する様な言葉を一切、吐かない様に心掛ける。

 

そして、『やりたい』という気持ちが出てくるまで、反復する。

 

人間の心は割と単純であり、うまくいかなかったことがうまくいくようになると、得意となり楽しくなるわけで好きになっていくんですよね。

 

淡々とやるだけでいい。

 

そうなっていくとセミ・オートマティックとなり、過去とは違う人生となる。

 

と、いうお話です。

 

最後に前述した『バケモノ』という言葉に補足。

 

一つの物事やそれに付随する関連項目をずっとやっていくということは、ニンジンをぶら下げられない限りは続くことは叶わないと思っていい。

 

だが、実際にそれが出来てしまう物事があったりするし、それを1年、3年というレベルではなく一生できる人間は、確実に『バケモノ』レベルの水準に達する。

 

それは自分自身の魂に直結している物事かも知れない。

 

私の中の魂の定義は、自分自身の存在価値や行動理念の源になっている信念のようなもの。

 

非常に複雑で難しい話になって来るので、この位にしておきますが、そういった物事に気づけたり見つけてやれるのであれば、もしかしたら運が良かったと思えるかもしれない。