自分に価値がないという気持ちが間違い【ここが分かれば何も怖くない】

割と多くの人間が持っている気持ちの中に『無価値感』という強い情動があります。

『自分には価値がない。』と、考えて、何をするにも自信が持てなかったり、必要以上に他人を気にしすぎてしまう。

たった一度きりの人生なのに、これはすごく勿体ないと思うのは私だけでしょうかね?

 

6年以上、自分の顔や名前を曝け出して、自分の情報をブログや他のメディアで発信している私が思っていることを書いてみます。

無価値の人間の方が絶対に少ない

結論から言って、無価値の人間なんかはいないと思ってもいいでしょう。

もしも、自分に価値が無いと感じているアナタは、おそらく何かと比較してそう思い込んでいるのかも知れません。

 

人によっては、『アイツは無価値だ。』とか『なんの価値もない奴だ。』という気持ちが表に出されることもある。

しかし、それはあくまで当事者同士がお互いに存在する小さな世界の話。

無価値であると思われている人が、本当に他でも無価値なのか?と言えば違うんです。

 

そもそも無価値な人間を探し当てる方が難しいとさえ私は思っています。

 

無価値の人間がいない理由

多くの人が価値があると思っている人間は芸能人や有名人・経済的に裕福であると公言している人やアーティストなどでしょう。

では、それ以外の人は無価値だから、常に劣等感を抱いていないといけないのか?というと、全くそんな必要がありません。

 

例えば誰もが認める天才ボクサー・井上尚弥だって、赤子の時は何も出来ない小さな存在でした。

誰もが知っている元野球選手・イチローであったとしても、常に天才と言われ続けていたわけではありませんでした。

要するに最初は誰だって他人が思う価値を、当人たちは持っていなかったんです。

 

多くの人間は有名になったり、成功してテレビや新聞・ラジオやメディアなどに大々的に取り上げられてからの価値ある人間を見て、判断するわけです。

それと自分を比べてみて、自分は無価値だと勝手に思い込んでいるに過ぎない。

そして、その気持ちがいかに実は意味のないことなのかを一早く気づく必要があると強く思っています。

こんな人間でも価値があったりする裏側

少々、極端な例を幾つか挙げてみます。

 

少々、エゲツない話になります。

か弱い少年や少女をレイプした挙句、嬲り者にしながら惨殺した男がいました。

これだけでもクサレ外道と称してもいいわけですが、逮捕後も裁判の席で遺族たちを挑発する行為を男は嬉々として振る舞っていました。

かの有名なロストフの殺人鬼と恐れられたアンドレイ・チカチーロのことです。

 

多くの人間がこんなクサレに価値なんか微塵もない!と思うでしょう。

私も個人的な感情ではそう思いますが、ところがそうでもないのですよ。

犯罪心理学において、このような異常快楽殺人者は格好の研究対象として価値があるわけです。

 

それに加えてチカチロが銃殺刑でこの世からいなくなってからも、チカチロの人間性や歴史などは、メディアにも取り上げられて、更には書籍になり世界中に流通しました。

これはこれでクサレ外道のチカチロであっても、特定の組織やメディアにとっては経済効果をもたらした価値があったということなんです。

 

もっと身近な話でよくある例を出してみましょう。

どこの会社でも1人は必ずいるのが、何年もいるのに全く仕事が出来ないという人。

決して障害があるわけでもないのに、周りの足を引っ張ってばっかりという人。

会社に勤めるということが、どんなことなのかも全く分かっていない人。

 

ダイレクトに足を引っ張られている人というのは、怒りの1つでもぶつけたくなるかも知れない。

加えて、こんなヤツ、いなくなればいいのに・・・。と思うかも知れません。

その人からすれば、仕事が出来ない人は無価値にも等しい存在。

 

ですが、大きな視野を持てば、仕事が出来ないそんな人にも価値がないわけではないのですよ。

 

まずは会社に勤めている以上、強制的に納税者になっているという点で、国からすれば充分に価値ある人間であると言える。

加えて、会社で使えない存在という人間の価値というのは、お金だけの面を除いても実に沢山あったりするわけです。

新しく入ってきた人間たちにとっても、古くからいる人間にとっても、それらの人間の仕事意欲を高めるということに繋がったりもするわけです。

そんなことで仕事を高められるという気質もどうかと思いますが、それは事実であったりします。

 

生まれたばかりの赤ちゃんというのは、何も出来ないから価値がないか?と言われれば、そうではない。

赤ちゃんを価値がないと思い込んでしまうのは、望まれた子供ではなかった場合。

しかし、実の親が無価値と思ったにせよ、他の大人からすればそうではないわけです。

そして社会にとってもね。

 

確かに何も出来ないし、言葉が喋れないから全力で泣きわめいて、眠いという気持ちを表現したり、オッパイが欲しいことを伝えようとする。

面倒をかけるわけですが、普通の大人よりも価値が高いと言えるのは、今後、その赤ちゃんは多くの付加価値を地球全体に投げかける存在になるからです。

加えて愛し合って望まれて産まれた子供ならば、両親や身内にとっては何よりも大きな価値以上の存在になるはず。

 

極端な例を出してみましたが、この様に『自分には価値が無い』と思い込んでいるのは、間違いなく単なるアナタの思い込みであるわけです。

どんな人間にも価値は間違いなくあるわけであり、無価値であるならば、既に生き残れてはいないはずなんです。

『自分は価値が無い』と考えれる心があるだけでも、充分、価値があると言えると思います。

価値がある?価値が無い?どっち?

自分自身に価値があるのは分かりましたが、積極的に自分を示す行為を行うのであれば、敢えて『自分には価値がない。』と戒めることは重要であったりします。

戒める(いましめる)とは
・あやまちが無いように注意を自らに与えること
・前もって失敗しない様に止めようとすること

何故ならば相手の共感を得られなければ、見向きもされないし、場合によっては敵を作る可能性もあるからです。

現実の生活であっても、インターネット内だけの世界であっても。

 

自分には価値が無いと戒めた上で、自分の価値を伝えて共感を得れる人間を探すということが大事。

その為には自分自身が何らかの形で情報発信を展開して、直接的にも間接的にも知ってもらうという能動的な行動が必要。

最初は塵を積み上げていく様なことかも知れませんが、最初は皆、ゼロ或いはマイナスからはじまっているのです。

 

継続していくことが出来れば、1年後、2年後は確実にそれまでとは違った光景が広がっているはずです。

 

行動することによって何を失う?

元々はゼロから始まっているわけなので、こうやって考えてみると行動することで失敗したとしても何も恐れる必要は無いと言える。

自分には価値がないと卑屈な気持ちになることもない。

たった一度の人生だから、望むならば自分がリスクをとれる範囲内で、自分を示して他人の共感を得れるほうが、より幸福感に満ち溢れた未来を作ることが出来るはずです。

 

こうした行動と理念というのは、たった一人で動いていくという行動理念を持っていたとしても、非常に重要な考え方であると断言できます。

最新情報をチェックしよう!
>