サンクチュアリ -聖域- 後編

もしも自分が煮詰まっているとか、自分の人生を変えたいと思っていたとする。

 

その時は引越しをして、人間関係を変えてしまうことがいい。

 

引越しをした後に、以前の環境の人間の連絡もなるべく受けないことが望ましい。

 

とにかく自分のセルフイメージを下げる人間とは縁を切る位で事をすすめることだ。

 

それが例えどんな関係であったにせよ・・・。

 

決して以前の人間を居座らせてもいけないし、自分の意識や生活に介入させることは断じてしてはいけない。

 

そうなれば、結局、引っ越しただけ損であるし、全く人生が変わることも無いからだ。

 

それではとりあえずサンクチュアリのラストを書いてみようか。

 

対峙

私が将来、聖域になると感じた住まいの契約日の約束をこぎつけてからは、家に帰る様にしていた。

 

出来るだけ音を立てないように荷造りをしたり、引っ越しの構想などを練るためだ。

 

元々、居候する時に、自分の家財やアイテムの殆どを処分していた私。

 

それでも居候してから1年半の間には色々と物が増える。

 

そもそもずっとそこに住み続けるつもりでいたから、結構、部屋をカスタムしていたりしていたからね。

 

貯金は40万円ほど。

 

一円でも安く済ませる為に、もちろん引越し屋さんにも頼む気はない。

 

さすがに荷造りなどをしていると、当然、けーごが本気で出て行くということがバレるのは当たり前。

 

何?おまえ、マジで出て行くのか?

 

兄が冷たい表情で私にそう問いかける。

 

うん、4月10日にもう別のとこの契約を済ませた。

おまえ、それ全部、自分でやれよ? 俺なんも手伝わねえからな?!

頼む気なんか更々ねーよ。

兄の横では微妙な顔をしている兄嫁がいる。

 

私はそれまで家計管理をしていたので、兄の金に関するものは全部、兄嫁に手渡す。

 

父親の方にも、通帳やカード、支払先のことなどの簡易的なマニュアルなどを作って渡していた。

 

ある日、私は兄の部屋に呼ばれて、こっぴどく説教をされた。

 

まあ、どんな事情があろうと、私が居候してきたのは変わりないし立場が低いのは分かっている。

 

ただ別れる際には出来るだけ揉めたくはなかった。

 

こんなことになるなら、あれもこれもやる必要なかったじゃねーか!

 

兄は顔を真っ赤にして、私に怒鳴りつける。

 

俺もずっとココにいるつもりでやってたんだけどねぇ。 まあ、こうなった以上、もうしょうがない。 前のこといっても仕方がないだろう。

 

ちなみに兄嫁は元証券会社に勤めていた人。

 

金の流れなどが、1円単位で管理されていない私の管理を指摘してきたが、それ以上に兄の金の使い方に激怒していた。

 

私が金の管理をしているにしても、兄が車のホイールを変えたいとか、父が娯楽物に金を使おうが、全く止めずに金を出していた。

 

何故ならば、兄が働いて稼いだ金は兄が好きにつかうべきものであるし、父が稼いできた金は父が好きに使うべきものであったからだ。

 

ただあまりにも金がかかる物に関してはストップしたことがあったが。
(ローン組んでレクサスを買うとか、明らかに一年後には使っていないと思われる様なものとかね)

金の使い方に自信が持てないからこそ、セーブしてくれるようにと頼んできたのは兄や父なのだ。
(この辺は非常に過去に複雑なことがあったので、割愛する。)

 

おまえ、考え直すつもりないの?

嫁と言い合いしたあとに、ちょっと冷静になった兄は話を変えるつもりで私にいってきた。

無いな。 もう俺が出来ることは何も無いよ。

分かった。その変わり、おまえの使ってる部屋、しっかりとおまえが住む前の状態に戻せよ?

んなこたぁ、分かってるよ。

 

私は仕事休みの日は、とにかく掃除と持っていく必要が無い大きなものの解体をしていた。

 

時折、兄がチャチャを入れてくることがあったが、無視して作業を続けた。

 

仕事もしっかりとやっていた。

 

マネージャーには多少、理由を話して、相談にのってもらっていた。

 

相談というのは、私は派遣会社に勤めて然程の時間が経っていない。

 

なので、賃貸契約を結ぶ際には、勤務年数などを突っ込まれることを想定したからだ。

 

あとは保証人の問題である。

 

費用を安く済ませたいとは言え、絶対に父親と兄に頼みたくなかったから、保証会社を使うことを決めていた。

 

その際にも色々と理由を聞かれるのは明白だったし、やはり勤務年数と収入がキーポイントになるのは分かっていたからだ。

 

大丈夫。 ワタベにしっかりと言っておくから、進めちゃいな。 もしもダメでもウチ(会社)にも寮あるから。
(ワタベというのは、派遣会社の総務の人物。)

ありがとうございます。

 

もはや後には引けないし、引く気もなかった。

 

ファーストシーズンの到来

以前のブログ記事に幾度となく書いたけど、私が一番好きなバンドはDizzy Mizz Lizzy。

 

居候していた時の2014年の秋に、実はこのバンドが再結成していて活動していることをネットで知った。

 

その再結成一発目の曲が【I Would If I Could But I Can’t】。

 


聴いて速攻、気に入ってスマホに取り込んだこの曲。

 

家から出て行くときには、正直、楽しみもあるが、不安もあった。

 

もう後戻りできないし、するつもりはない。

 

何故かこの曲を聴くと元気が出たし、奮い立った。

 

2015年3月から2015年7月くらいまで、この曲しか聴いてなかった記憶がある。

 

バイクで会社に行くときも、帰る時もリピートにして何十回、何百回。

 

なので私の中でこの曲を超える曲は、そんな意味でも今後はありえないと感じている。

 

そんな感じで4月10日の契約の日。

 

約束の時間より少し前に必要書類を携えて、不動産会社に行くと、主任が待っていた。

 

こんなことあまり無かったんですが、大家さんも契約時に立ち会いたいということで (^_^;)

 

どうやら、どんな人が例の物件に住むのか見たいという事だそうだ。

 

不動産会社の客席に招かれて、茶を出されて大家さんの到着を待つ私と主任。

 

程なくやってきた人は初老の女性であり、メガネをかけてニコニコしている人の良さが滲み出ているそんな人。

 

大家さんが私の隣に座り、向かい合って主任が座る。

 

主任の彼は大家さんにメッチャ、気を使いながら契約を進行させる。

 

特に詰まるところも無く、契約が完了した後、軽く談笑する。

 

あそこは元々、介護会社の社寮だったんですよねぇ~。

 

主任が話の流れでそう言うと、大家さんは

 

アナタ、何か勘違いしてますよ? 元々は学生寮だったのよ? でも~・・・

 

勘違いを指摘されて主任は更に恐縮して、しどろみどろになっていた様子に思わず吹き出してしまった私。

 

帰る際に大家さんは満面の笑顔で私に言った。

 

あ~、どんな人なのかって思ってたけど、アナタなら全然、大丈夫そうね! 良かったわぁ。

 

私は

 

これからよろしくお願いします。

 

と、自然と最高の笑顔で言えた。

 

私が住むところは少々、従来の賃貸とは違っていた。

 

家賃の払いは銀行振込とかではなく、大家さんに直に所定の日に手渡しするということであった。

 

ちなみに大家さんの住まいは隣の一戸建てであった。

 

晴れて大家さんから私に鍵が手渡された。

 

現在の私は何となくであるけど、自分の人生史を段階に分けて考えている。

 

紛れもなく私の1st(ファースト)シーズンは、この日から始まったと思う。

 

それ以前の30余年は・・・0th(ゼロス)シーズンであるとしている。

 

さぁ、始まりだ・・・私は不動産会社から帰る時も、【I Would If I Could But I Can’t】を聴きながら帰路についた。

 

その水を飲む気はない

4月10日以前だったか、後だったかは記憶が無い。

 

ただ、こんなこともあった。

 

祖母のキヨちゃんを介護していた母親が倒れた時と、母親が亡くなった時に多大な尽力をしてくれた田舎の叔母さんにもメッセージを送った。

 

非常に残念な気持ちを返信メッセージに込めてはいたものの、叔母さんは私の味方でいてくれたように思う。
(ちなみに父親と兄がその後の法事で田舎に行った際、叔母はメチャクチャ、父親と兄を怒ったようである。その理由は言うまでもないが・・・。)

 

その日、一番上の兄から私にLINEが届いた。

 

内容は近くまで来たけど、家に入れてよということであった。

 

その時、二番目の兄がいたので、父もいないから厳しいというと、一番上の兄はああ、あいついるのかよ・・・という感じであった。

 

何の用事で出てきていたのかは記憶にないが、とりあえず一番上の兄に呼び出されて、近くのスーパーの駐車場で待ち合わせることに。

 

すると何故か、父親と偶然に出会った。

 

仕事にいっているはずであったが、その時は体調が悪くなって早退したということであった。

 

一番上の兄には、それとなく私が家を出ることになっていることを告げていた。

 

私は一番上の兄とは激しい対立をしていた時期もあったが、ある時を境に、たまにLINEで会話するくらいに関係は修復されていた。

 

おまえがあの家にいるのならば、俺は長男として安心だよ。

 

私には常にそう言っていたが、正直、それはあまり解せない気分。

 

しかし、それは一番上の兄の精いっぱいの気持ちであると受け取ってはいた。

 

スーパーの駐車場で微妙な顔をしながら、立ちんぼして会話が始まる。

 

気まずい沈黙になる時は結構あったが、何とか言葉を出す感じで・・・。

 

もう引っ越すところも決めているから、俺は変わる気はない。 もう俺に出来ることは何も無いよ。

 

私がそう言うと、小声で父親が言った。

 

もう、ダメかもなぁ・・・

 

ちなみにこれ以前に私は父親と激しい口論をしている。

 

その内容は明かさないが、その時にも二番目の兄と同様に父にも激しい幻滅を抱いたのだ。

 

二番目の兄は気づかれていないと思っているだろうが、実はその際、隠れて私と父親の内容に耳がダンボになっていたようだ。

 

気づいていないフリを私はしていたが。

 

話を元に戻す。

 

引っ越す時に、悪いけど車貸してくれない?

 

私は父親に言った。

 

ちなみにダメだという様な事を言われたら、レンタカー借りるつもりでした。

 

おとうさんが使わない時は自由に使っていい。それはいいけど・・・

 

父親が続けて何かを言おうとするのを遮って、私は

 

何回も借りない。 3,4回で済ますから。

 

持っていくものを厳選し、頭の中でシミュレートして見ると、その位の回数で収まる計算は立てていた。

 

その会話を聞いていた兄はため息をつきながら、不意に私に言った。

 

おまえ、これからどうするの?

 

私は恐ろしく冷たい気持ちで言った。

 

普通だよ。 会社にいって仕事して、飯くって、寝るだけだよ。 他に何をやることある?

 

兄はその場で帰ると言い、父親にまた連絡するね。といって去っていった。

 

この日だったか、別の日だったかは定かではないが、兄とはこんなLINEのやり取りをしている。

 

俺は死んだおかあさんのようにはなれないし、なるつもりもない。

おまえの気持ちはよく分かるよ。

年老いて病み上がりのおとうさんを、おいて出て行くことがどういうことかというのも分かっている。 でも、もう無理だ。

おまえ、こっち出てこないか?

東京には行く気はない。

そうか・・・おまえは東京の水が合っているから、くればいいのに。

 

そう言ってくれた一番上の兄の言葉は嘘でも嬉しかったが、そこの水を飲む気はなかった。

 

たった一人になりたい、どこであろうといい。

 

私を突き動かしていたのはそれだけだった。

 

4月10日以降、淡々と作業を進めていた。

 

部屋から全部、物を出してカラにした後に、念入りに掃除をした後、兄を呼んで見てもらった。

 

いいよ。OK。

 

兄は少々、驚いていたようだった。

 

おまえさ、新しい引っ越し先の住所、しっかり教えろよ? じゃないとおまえどうせ何かあったら失踪するとかするだろ?!

そのうち教えるよ。

 

兄が外出した後に、兄の部屋にいる兄嫁のところに行った私。

 

どうしたの?

 

キョトンとした兄嫁に私は

 

あんな兄で、どうしようもないところもありますが。よろしくお願いします。 お世話になりました。

 

私は兄嫁に土下座をした。

 

去っていく身分でこんなことを言うのはおかしいかも知れないが、その資格はあると思っている。

 

その理由は書かないが。

 

土下座する私を見て、兄嫁は吃驚して、土下座を返してきた。

 

こちらこそお世話になりました。 でも、けーごクンいないと・・・

 

軽く会話をした後、私は引っ越しの荷物運ぶからと部屋を後にした。

 

荷物を全部、引っ越し先に持って行ったあと、兄の部屋に行った。

 

兄と兄嫁がテレビを見ていた。

 

私は色んな気持ちはあったものの、居候させてくれた一年半のことを想い、深々と兄に土下座をした。

 

お世話になりました。 今までありがとうございました。

 

精一杯の威厳を保とうとしていたようだが、もう特に怒鳴ることもきついことも言わなくなっていた兄。

 

まあ、頑張れよ。

 

私はそれまで使っていた鍵を置いて、居候先の家を後にした。

 

気持ちの整理にしかならないが・・・

実は賃貸物件情報を夜、寝る前に漁っていた時に、もう一つ、収集していた情報がある。

 

それは『分籍』というものについてだ。

 

分籍というのは、それまでの戸籍から別れて、自分の戸籍を作ることを指す。

 

一回、分籍をしてしまえば、元の戸籍に戻ることは出来ない。

 

私は結婚した経験がないので、親と同じ戸籍に入ったまま。

 

ただ、どうしても気持ちの整理として、家を出ていってからこれをしたかった。

 

ただ私の戸籍は当時、父親の故郷の大阪になっていたので、戸籍謄本を取り寄せる必要があった。

 

なので、情報だけは収集して、引っ越ししてからやろうと決めていた。

 

私の中ではもう引越ししてからは、父親、兄、兄嫁と関わらないようにと実は決めていた。

 

引越ししてから、やったことは生活用品を揃えることもあったが、分籍を済ませたいということであった。

 

分籍をしたとしても、別に親子・兄弟関係の変更などはないし、引っ越し先の住所もしっかりと家族には分かるわけだが、それでも私は分籍に拘った。

 

大阪から戸籍謄本を取り寄せた後に、役所にいって分籍を済ませた私。

 

一見、意味の無い様に思える作業かも知れないが、確実に自分の心には変化があったと実感している。

 

新しい住居はもぬけの殻状態だし、便利な生活用品は何一つない。

 

冷蔵庫も洗濯機もエアコンもネット回線、掃除機などもない。

 

貯金も半分になっていた。

 

しかし、この時には不安よりも楽しみと期待、希望に満ち溢れていた。

 

ちなみに2015年4月中旬は、ホント、まだ寒かったんだよね・・・。

 

隣に住む大家さんが新しい店子の私が気になって仕方が無かったようで、逐一、荷物が運び終わるまで様子を見に来てくれていた。

 

で、灯油と灯油ストーブを貸してくれた(笑)

 

なんなら、ご飯作ってあげよーか?!(#^.^#)

それは大丈夫です。 と、いうかもっと過酷な環境で生きていたこともありますんで^^;

 

と、いう心温まること気持ちを見せてくれた大家さんには今でも感謝している。

 

それに、この人の為にも私は聖域に住み続けようと思っているんですよね。

 

2013年9月から2015年4月までに、決して悪いことばかりではなかったとはいえ、何かを蓄積させていた私。

 

決断をして、新しい自分の人生の扉を開いた時に、それまで溜まっていた幸運が一気に噴き出した感じがした。

 

と、まあ、長々と三回に分けて書いてみた続き物でしたけど、書いてて俺が楽しいな、これ(ぶw

 

前編、中編、後編と分けてみたものの、こっからがマジで楽しいから、タイトル変えて、気が向いた時に続き書いてみますわ。

 

 

ここまで長々と最後まで読んでくれて、本当にありがとうございます。

 

見つけてくれて、ホント、感謝してます。

 

ではでは、気が向いた時に続きを書いてみたいと思います。