相変わらずプチ世捨て人な生活をしている『けーご』ですが、皆さま、いかがお過ごしでしょうか?

 

去年が『7』だったら今年が『77』のエネルギーで、好きなことに取り組んでいるので、色々と悶々とすることも多くなった。

 

だからこそ全てはうまくいく!という信念だけは忘れない様にと胸に誓って生きているわけですが、今日も一本、心の力に関することを書いてみよう。

 

まあ、これは私が真に目指している自分の在り方のお話でもあったりしますが。

 

最近、若き友と言えるFXトレーダーの彼とLINEしたりする。

 

どうやら良い結果が挙げられていないことで、彼もまた悶々としているようだ。

 

私も1月22日の後になって意味なかった撤退をしてから、思うように自分がスッキリする売買が出来ておらず、機会を逃していることが多い。

 

ロックオンしているマーケットは違うけど、本質的なものは同じであると思っているから彼の感じていることは多少はよく分かっているつもりだ。

 

彼は元々は九州のある大学を首席で出ている秀才。

 

実際には良い会社に入って、色んな人間の自我欲に揉まれながらも、安心安定の中で暮らしていけていたであろう人間だ。

 

だが、その道は選ばずに自分の可能性と自分の道を模索する為に、敢えて上京して揉まれる道を選んだ。

 

私はこういう人間は老若男女問わずに大好きだ。

 

私は彼ほど良い学歴があるわけでもないし、若い頃は色々と無茶したこともあった。

 

20代の頃などは今思ってみても、自分がクソだったと感じることも多々ある。

 

まあ、全てが無駄ではないにせよ、結局はどん詰まりに行き当たって、数回、首をくくろうと思ったこともあったりするよ。

 

明らかに彼の年齢のころの私はそんな感じであった。

 

それから色々と自分を見つめ直して、心を別の色に塗り潰して、上場企業に勤めることが出来たが、やはり『自由』を求めて囲いの外に出た。

 

遅すぎることはないと思うが、5年前にやったことを、10年前にやっておくべきだったと思うことはある。

 

だから、今、悶々としながらも明るさを忘れずに抗っている彼は9分9厘、10年後には私よりも経済的にも、人間としての器も数段上を行けているだろうと思う。

 

そんなことをよく思いながら、彼とLINEしていたりする。

 

だからというわけではないが、常にこの数年間で感じたことがある。

 

そもそも我々は何を目指しているのか?ということ。

 

多くの人間は自分が必要とされている『承認欲求』なのだろう。

 

そこから細部に振り分けると『異性』『ステータス』『銭』って具合になる。

 

とにかく『ステータス』に関して言えば、『銭』でいくらでも解決すると言える。

 

『異性』というのは、実際に付き合ってみなければ本当に分からないものだから、ここでは敢えて言及しない。

 

色んなことを経験した上で思うことは、『銭』も大事だが、本質的には『心の豊かさ』が求められると思っている。

 

例えば私の経験で言えば、今から8年前くらいは一人で暮らしていて、当時勤めていた仕事の給料もお世辞にも良いとは言えなかった。

 

だけど、日々、充実してた。

 

仕事先の仲間とは屈託なく良い感じで仕事出来ていたし、ほぼ確実に定時であがれる。

 

お金は欲しいとは思う反面、それを求めるが余りに今の現状を失うことの方が嫌だった。

 

まあ、そんな良い期間も結局は仕事先の上の都合で潰れてしまうわけだが、あの期間は非常に良い思い出だ。

 

金じゃない些細な生き方と心の豊かさを見つけて享受していた。

 

しかしそれは『見せかけの豊かさ』だったと崩壊して気づくことになる。

 

根本的に会社に依存して生きていたから、上の都合によって水泡に喫するわけですよ。

 

2017年3月まで勤めていたトコは関東住みの人ならば、誰でも一度は見たことがある看板の会社。

 

上場企業であったし、仕事が出来る人間は例え性格が悪くても『居て良し』というところだった。

 

くだらない人間関係に付き合う必要性もない職場だったから、実際に脱サラしようと思った時は本気で迷って、自分自身がイライラするくらいに自問自答した。

 

会社の給料で生活は賄えるし、更にその数倍の『銭』を副業で稼いでいたからね。

 

だけど、私は『自由』求めて、囲いから出た。

 

何故ならば過去の経験から、やはり何をどう言っても依存しているからだ。

 

色々とやってきて、経験して私が思うことは『自由』になったからといって、心の豊かさとか平安というのは別のところにあるということ。

 

会社に飼われていることとか、自分で仕事をとってきてはバリバリやるということとも違う。

 

家族がいて、それなりのステータスがあるということでもない。

 

枝葉が豊かであっても、本質・・・根っこの部分に一抹の不安要素などがある場合は、真に心の豊かさと平安はないのだ。

 

この答えは一体、何なのか?

 

私は今、自信を持っていえる文言がある。

 

世の中がどう変わろうと、例え全てを失い0になったとしても1を作り出し100になれる自身の雛型があるかどうか?

 

これに尽きる。

 

それが欲しかったから・・・それを実感したかったから、私は過去に色々と積み上げてきたものを自らの手でぶち壊してきたんだ。

 

と、ここ最近になって自覚した。

 

今、目の前にあるリソースの全ては、他人に与えられたものは無いから、大事にするから決してゼロになろうとは思っていない。

 

ただ私も完全に自分自身に『心の豊かさと安定』を手に入れているかといえば、そうではない。

 

今はその途中であるということを自覚しながら、日々、楽しく生きていく。

 

もちろん世捨て人・・・魔道を歩くということを忘れずにね。

 

豊かな心というのは、もちろんその中には感謝』『忍耐』『共感が当たり前のようにあるもの。

 

しかし、敢えてこの三つの概念は除外視した部分を紐解いてみました。

 

少々、分かり辛かったかも知れない。

 

が、あくまで何度もいうが世捨て人のちょっと変わった生き方をしてきた一人のオヤジの戯言として受け取ってもらえるとこれ幸いです。