花形と裏方

以前にも人には『属性』というものがあるということを書いてみた。

 

それと通ずることではありますが、今日はもっとおおまかな話。

 

つーか、最初にこれを書くべきだったと感じるが、それはそれとして・・・。

 

以前、勤めていた会社で私を大層、可愛がってくれたマネージャーがふとこんなこと言った。

 

〇〇(ある職種)の人たちは、この世界で言えば花形だから、おだててやることも必要だよ?

 

こんな感じのこと。

 

私はマネージャーの言うことに気を使いながらも

 

〇〇だからといって、何やってもいいわけではないですがね((+_+))

 

マネージャーの言うことは最もだと思うし、その全てに異論は挟めない。

 

だけど、同じ会社にいながらにして、私たちがやっていたことは、どちらかと言えば『裏方』にあたる。

 

そして、当時は雰囲気的にも『花形』と称される人たちの横暴?ぶりが表面化していたと思われる。

 

俺ら、アタシらはオマエら(裏方)よりも、辛いことしているから、この位しても許されるんだよ!

 

みたいな感じ。

 

なので、私はマネージャーにちょっと食ってかかってしまったというわけだ。

 

んまあ、人それぞれなんですけどね。

 

基本的にどちらも経験したこともある私が総じて言えることは、これは簡単に言えば『モラル』の問題に尽きる。

 

モラルが云々という抽象的で曖昧なことをほざきだすとと、鬼のように長くなるので控える。

 

そもそも、会社だけに限らず、組織や特定の世界の中にあって、価値無き仕事というのは、存在出来ない様になっている。

 

それに従事する人間の心だったり、気概にかかってくるというもの。

 

そしてその世界には必ずと言っていい程、『花形』と『裏方』が自然的に発生する。

 

『花形』とは、目立っている存在。

『裏方』とは、目立たないけど支える存在ね。

 

商社などで言えば、花形とは営業して仕事をとってくる人。

裏方とはそんな営業を支えたり、営業が自信をもって勧められる商品を製造する人だったりとか。

あと、社長とかも花形??と言えるかも知れない。

 

とにかく、人の前に出て、アピールできる人だったり、仕事とってこれるヤツのことといっていいだろう。

 

当然、世の中には30000種の職業があるので、兼任して一つというものもあるけど、これは除外するね。

 

大きな視野でみて、抽象度を上げてみると、花形だろうが裏方だろうが、一つの旗をつけている兵隊でしかない。

 

きつい言い方になるかも知れないけど、そうなってしまうのだ。

 

なので、花形の横暴だろうが、裏方が仕事しないなどということは、小さい問題であると言える。

 

もっと違う表現で書いてみよう・・・というか一つの例かな?

 

項劉記という歴史の中で、私が好きなエピソードがある。

 

楚の項羽を破った劉邦が論功行賞の時に、一番の功績者として蕭何(しょうか)を挙げた。

 

もちろんこの時代は戦争バリバリだったので、敵を打ち破って領土を分捕ってこれる人間が『花形』なのだ。

 

そうなると当然、国士無双と言われた『韓信』だったり、英布だったり樊噲だったり、その他、諸々の将軍たちが功績者として称えられるべきだったのかも知れない。
(厳密に言うと韓信や英布は既に劉邦に帰順している他国の王という地位を与えられてはいたのだが)

でも、違った。

 

何故、劉邦が蕭何を一番の功績者にしたというのは、完璧に裏方として花形を支えたからである。

 

数万の兵隊を指揮し、戦闘を作り上げていく花形であっても、彼らもまた支援が無ければ活躍することが出来ない。

 

蕭何は大量の軍勢が滞りなく賄える食事(日本で言えば兵糧)を前線へと補給し続けた。

 

何年も何年も長きに渡って。

 

前線に送る食事を後方で生み出したりする管理なども滞りなくやってのけた。

 

蕭何の仕事はこれだけではなかったけど、彼が裏方で無かったならば、間違いなく劉邦は項羽に勝てなかったのだ。

 

喧嘩強くても、飯食っていけなければ士気にかかわる。

 

腹が減っては戦が出来ないって諺は、如実にこれを表している。

 

喧嘩できなくても、根本を支えるものを管理して補える人間こそが偉大であり重要な人間と言える。

 

ついでにもっと違う例を出してみる。

 

昭和の極道はとにかく抗争が多かったという記録がある。

 

もちろんドンパチに行く人間は『花形』であった。

 

しかし、場合によっては『花形』であるのは、その時、その刹那だけだであり、後になって分かったのは単なる『鉄砲玉』であったということ。

 

そして、そうしてしまったのは、『裏方』たちであったという皮肉な話もあったりする。

 

もう一つの例。

 

今はどうだか知らないが、太秦映画村内の話。

 

もちろん、『花形』と言えば、作品の監督だったり演者だったりする。

 

しかし、この世界、昔は非常に裏方の影響力が強かったという。

 

『裏方』の人たちも、自分たちに自信があったし、舐められたくないという気概があったのだろう。

 

だから、『花形』にムカついたら、やめや!と言って、帰ってしまうという(^_^;)

 

演者の中でも『先生』と言われて、多大な影響力を持っていた御仁も、実は太秦の『裏方』たちには逆らえなかったという裏話も聞いたことがある。

 

だって、根本を成すものが提供されなくなってしまうからだ。

 

映画とってもらえないってことね。

 

まあ、何はどうあっても、裏方というものは地味であるし、目立たない。

 

多くの人間たちは目立つものに惹かれてしまうものだからね。

 

悪い言い方をすればミーハーで、あんま深く考えて物事を見れない人間が多いってこと(;^ω^)

 

しかし、忘れてはいけないのは、持ちつ持たれつの関係にあるということである。

 

もちろん裏方も花形がいるから、力を発揮出来る。

 

裏方ばかりやっていた人間が花形など出来るわけが無いし、花形は裏方になってしまったときには、おそらく失意に苛まれる。

 

なので、持ちつ持たれつということを忘れてはいけないと思っている。

 

あくまで組織にいて、これからもずっと生きていくというのならば・・・。

 

 

私の主観で言わせてもらえば、当然、ハッキリ言って花形よりも裏方を見るし、裏方を尊重する傾向が強い。

 

そして裏方を傲慢にならずに冷静に勤め上げれる人間こそ、最高のプレイヤーであると言える。

 

だが、裏方というものは、目立たないので、基本的に自己承認欲求を満たせないというデメリットがあったりする。

 

なので、傲慢無礼になっていく傾向も強かったりするのだが、どちらにせよそれは本人の性格の問題か。

 

重要なのは自分は『花形』と『裏方』のどっちに回るのが、自分のポテンシャルを引き出せるのか?ということである。

 

どっちになりたいのか?でもいいかも知れない。

 

私はどちらかと言えば『裏方』タイプなので、ここには凄く拘っていたけどね。

 

今は『花形』『裏方』などは存在しないと言っていい世界で生きていますが、それはまた別の話。

 

あくまで一般社会の営みだったりを前提にした、ある簡単なロジックということで、留意してもらえると幸いです。