孤独と向き合う人であれ! ぼっちが怖くて何が出来る?!

『孤独』と向き合う人たちの端くれとして、今日は感情を込めた記事を書いてみよう。

そもそも私は決して孤独だったわけではなく、昔は自分が『いらねぇ!』と思っていても、周りは賑やかだった。

私が何故、現在の様な物事の考え方になったのか? そして、孤独を愛する人たちに共感を持つようになったのは何故なのか?

それを思い出話と供に書き残しておく。

 

孤独と向き合う人に憧れて

自分で言うのも何だが、幼少の頃の私は非常に可愛かったという。

大人(特に女性)からは可愛がられて、ご飯をご馳走してもらってばかりの時期があったし、積極的に友達を作りにはいかないのに、向こうからくっついてきたりしてくれた。

基本的に受け身の性格なので、話は聞き役に回ることが多くてね。

大人から可愛がられていたというのは、両親の影響力が強いということもあった。

昔は父親も母親もある時期は渋谷という土地でそれなりに影響力のあった人だったしね。

 

でも、子供心に早く大人になりたい!と思っていたのだ。

大人の言うことは信じられないという気持ちは強かったけど、そんな大人の影響を受けてしまっていたから、早く働きたいと思っていたのですよ。

何故ならば、早く自由になりたいと願っていたから。

 

それに加えて漫画などの影響もある。

大体、少年漫画などの主人公は仲間たちと供に助け合って、爽やかに困難と立ち向かっていくというストーリー構成が多い。

だけど、私が憧れたのは、主人公ではなく脇役。

特に印象に残っているのが、【流れ星・銀】という犬の漫画のリキというキャラクターだった。

リキはたった一人で率いる犬たちのテリトリーを守っており、ズタズタになっていたが威厳を保っていた。

最後は主人公であり自分の子供である『銀』を守って死ぬわけだけど、リキこそ男の中の男だ!(犬だけどね)と強く印象づいたのだった。

 

孤独と向き合う人は嫌われる

孤独を背負って、日々を生きている人というのは、基本的には嫌われると思ってもいいかもしれない。

流れ星・銀に出てくるリキに影響を受けた私はとにかく一人でいたかった。

しかし、周りはそれを許してくれないことが多く、むしろ一人でいると馬鹿にされたりとかしたものだった。

それはそれで子供の頃などは、色々とやり辛くなるんで、流されて生きていた。

結果的にはあまり良いことは無かった。

 

中学生の頃、所謂、不良グループの中に入った私であったが、楽しいのは最初だけであとは重いと感じることばかりだった。

目立ちたくないのに、目立つ行為をしなければならない状況になったり、本当はやりたくもない喧嘩をする羽目になったりとか。

中学2年生の時に転校したので、そういった不良グループからは強制的に抜けることとなったが、結局はそういった人間たちの影響を受けている為に、普通とは違う悪ガキが友達になりやすくなる。

 

出来るだけ一人で・・・とは思っていたが、逆に目立つこととなり、無愛想な態度をとると色々と陰口を叩かれる。

中学生の頃なんか無知だから、人間関係の摩擦というものに対する耐性などは乏しいからね・・・。

結局、友達を作ってしまうわけですよ。

 

以前の中学校の友達とは違って、やりたくもない喧嘩をすることなどはなかったけどね。

 

孤独と向き合う人になれた自分

何だかんだいって、幼少期から蒼い社会人となるまで、何だかんだいって孤独と向き合う人間ではなかった。

ただ憧れていただけで、実際は孤独と向き合えなかったと感じている。

 

私が孤独と向き合う人になれたと強く感じたのは、やはり2015年からだ。

もちろん、会社などでは仕事上、協力しあうことはあるにせよ、基本的に誰からも何の援助も受けずに自分の寝食を享受できる空間を、たった一人で作り出したのだ。

時を同じくして、孤独とは何なのか? 自由とは何なのか?を学んでいた私。

 

会社勤めの合間に副業に専念するが、基本的に誰とも組む気はなかったし、必要以上に他人に影響を受けることを嫌った私は独学で成果を上げるに至った。

幾多の失敗と障害を経験したけど、自分の力で会社のお給料以上の対価を得れるようになったときに確信した。

 

私は孤独と向き合えるようになった。

 

とね。

 

孤独と向き合うことで最強になれる

あくまで最強というのは、個人的な主観である。

だけど、多くの人間は孤独を嫌い、一人で生きることに不安や卑屈になりやすい。

しかし、喜んで一人で生きることに私は強さを感じている。

なので、会社などでも、一人でメシも食えない、タバコも吸いに行かない様な人を私はひそかに蔑んでいたりする。

 

そもそも、人というのは基本的には自分のことだけしか、考えていない。

本当に自分のことを考えているならば、不必要な人間関係や不必要な他者からの影響などは一切、排除して生きるべきなのだ。

何故ならば、自分のことを一番、よく知っているのは自分以外にありえないからだ。

また自分を大事にするのは、自分がこの世に生まれてきた義務であると言っても過言ではないのだ。

 

こういう言い方をすると、自分勝手だ!とかワガママだ!と言われるだろう。

しかし、考えてみてほしい。

そんなことを言う人間も結局のところは自分のことしか考えていないのである。

だから、自分と違う他人の在り方をみて、不満や攻撃をしかけてくるのだ。

 

そんなことを気にせずに、ただ自分の為に、自分の理想や夢の為に、一日、一日、歩みを止めなければ、自分の幸せは必ず手に入ると信じている。

だから、最強だと私は考えているのだ。

 

孤独と向き合う人へ贈るエール

今、私がこの記事を書いている時にも、たった一人で自分の夢の為に頑張っている人がいる。

時にはそれに対して、何も知らない人間からは誹謗されたりもするだろうし、否定を受けることもあるかも知れない。

また誰も助けてくれない状況に、不安になったり迷いを感じたりすることもあるかも知れない。

 

だが、孤独で頑張るアナタを応援する人間も少なからずいるのだ。

何故ならば私もそうだからである。

 

私の夢は誰から与えられるものではなく、自分でしか作り出せないものである。

アナタの夢もアナタ自身しか作れないのだ。

共通しているのは、たった一人で、孤独と向き合った状態で積み重ねて得れるものである。

 

恐れる必要もないし、逆に強みである。

 

自分と違うお門違いなアドバイスを余計なお世話とばかり投げかけてくる他人の影響を受けないから惑わない。

 

その強みをいかして、理想へ向かってたどり着いてほしい。

夢をかなえてほしい。

もしも一人になるのが怖くて、踏み出せない人がいるのならば、恐れることは無い。

 

たった一人で出来ることは少なくって、限られているというのは常識と言われているようだが、そこには嘘がある。

実はたった一人で出来ることは多く、それが実は近道であったりもする。

 

邪魔されない環境と状況を作り出し、自分で自分を律することで、孤独と向き合うことは可能である。

そして、その孤独が自由の証拠であり、自分が囲いの中の羊から、囲いの外を走り回る狼となった進化の証なのだ。

 

一人で生きて、一人で頑張っている人間に対し、優越感を持って強がっている羊さんたちに、今夜、敢えてこのブログ記事を贈ることにしよう。

そして、孤独と向き合う人、これから孤独と向き合う人になろうとしているアナタに向けて最後にこの言葉を送ろう。

 

君は本当は一人じゃない。

 

と。

 

最後まで読んで下さってありがとうございます。

Everything is going well!! 全てはうまくいきます。

それでは、またのう(´Д°)ノシ

 

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