当たり前と思う強さ

日が経つにつれて、どんどんと以前の感情が失われていく感覚が起きている『けーご』です。

 

魂の質は絶対に変わらないものの、色々と自問自答と未来を考えていく上で思うことは多いです。

 

今日も辛辣な記事となるかも知れませんが、更新していきます。

 

以前、あまり意識していなかったコトだけど、非常に大事だと思っていることに『基準』というものがある。

 

これほど各々の主観に基づく概念はないとも感じていますが、敢えて例を幾つか取り上げて触れてみたい。

 

かなり前にTwitter上で知り合った人と、投資・投機話のメッセージをやり取りしていたことがある。

 

その人はあるインフルエンサーに受講料を払って、トレードの方法を学ぶことにしたという。

 

私もそのインフルエンサーのツイートは読んでいたが、どこか傲慢と感じる部分があり次第に敬遠するようになっていた。

 

それに投資・投機というものは、ある程度の学びは必要であっても、そこから先は自分の掟に従えるかがミソになってくる。

 

その人とメッセージのやり取りをしていく中で、唖然とする発言を聞いて幻滅に近い感情をもった。

 

こっちが頭を下げて頼んでいるのに、お金をとられた。

チャートなんか一日中、見れるわけないじゃん!

〇〇さんはこう言っていたから正しい。

 

などなど。

 

インフルエンサーなどというものは、ほぼ9割型、自分の商品・サービスなどを売りつける為に情報発信を行っている者達ばかり。

 

それはともかくとしても、頭を下げれば無料で教育が受けれると思っている方がどうかしていると私は感じる。

 

そもそもトレードの方法を学ぶために受講したわけなのに、チャートを見ることに抵抗あるとは、そもそもが分かっていない。

 

おそらくは簡単に楽に稼ぎたいという気持ちがあったのだろうが、そんなことはない。

 

〇〇さん云々のくだりなどは笑ってしまったのだが、もはや何を言ってもこの人には無駄だと思ったもんだ。

 

メッセージのやり取りをしていて、性格は本当に良い人なんだろうとは感じたものの、あまりの基準の低さに当時は『俺もこの人と同じレベルなのかな?』と思ったもんだよ。

 

まあ、その人も単純に不平不満・愚痴・泣き言などをこぼせる人間が欲しかっただけなのかも?

 

人の話を聞いてあげることが好きな私は、その人の話し相手にはうってつけだったのかも知れない。

 

あくまで昔の話。

 

私からすればさ・・・

 

知りたい情報や学問にお金を払うのは、当たり前

投機するに至って、チャートを分からないうちはずっと見ていることなども当たり前

そもそも投資と投機にはリスクもあるのは、当たり前

 

それを超えてこそ恩恵にありつけるというものであると思うのだが・・・。

 

人によって『当たり前』の基準は違うのは分かり切っているが、あまりにも基準の低い人間を見ると『やれやれ・・・』という呆れた気分や、憤りを感じること沢山あったのだ。

 

・・・・・

 

まあ、昔の私みたい。

 

いいヤツだった反面、何かに甘えて生きていた自分を思い出すから、余計に憤りを覚えてしまうのかも知れないね。

 

これは特定の物事に関することではなく、普通の日常にもあったりする。

 

例えば会社、家庭内などでは、こうした基準の低さがより表立ってくる。

 

自分がちょっと良い成果を挙げた時には、鬼の首をとったかの様にずっと言っていたり。

当たり前のことなのに、それをさも素晴らしいことをやっていると吹聴する。

根拠がないのに自分が一番と感じて、それを周りに同調させる。

 

当たり前のことをこうして盛る様なところがある人間というのは、例外なく『ハッタリ』屋さんである。

 

こんなタイプの人間にマウントをとられては絶対にいけないし、むしろ半径2メートル以内に近寄ってもいけないと私は思っている(ぶw

 

本当に何かで結果を残したいなら、努力を積み上げていくことを『当たり前』であるし、そう思わないといけないと感じる。

 

『やりたい』ではなく『やらなければならない』という意味になると、その物事の継続力が薄れる。

 

なので、楽しむことが重要であると私は思っているよ。

 

人は自分が一番、辛いことをやっていると錯覚しやすいし、自分が一番と思いやすい。

 

そしてそれは劣等感を感じやすい人は特に顕著にそれが現れて、他人に見せやすいものだ。

 

しかし、それをずっと抱えていては、結局のところ誰かに頼らなければいけなくなるし、真の意味で自分自身が満足できる人生などは送れはしないと私は思っている。

 

うーん・・・誰かと一緒でなければ、嫌だと思う人はこの考え方はいらないかも知れないけどね。

 

仕事でも経済活動でも趣味でも何でも、物事で高みを目指すならば基準を高く持って、辛いことや退屈なことなどは『当たり前』であると感じて、さっくりと済ませるくらいの度量や器用さが求められる。

 

一時期を境に私はこのマインドを大事にしていたりします。

 

当然、私も力のない人間なんで、怠惰におかされる時はあるけど、そういうときって前述したような基準の低い人の思い出を振り返ってみたりする。

 

あとは過去の自分や自分の周りにいた一部の身内のことを思い返してみる。

 

そうすると、自分を奮い立たせることが出来たりもする。

 

まあ、当たり前なんですよ。

 

凄いヤツってのは、凄くなって当たり前のことをずっとしてきているんです。

 

何もしていないとかヒヨコの人間からみれば、凄いに決まっているじゃん。

 

まあ、それはさておき、ただやるかやらないかの違いだけであって、出来ることなら『楽しむ』こと。

 

そして更に言えば『楽しめる』ことを当たり前にする心構えと、それしかやらないという態度・姿勢が求められると思います。

 

あくまで何か特定の物事で満足を得たいと思うのであればの話です。

 

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