価値の交換が出来ない者と縁を切った方がいい理由

私は既に当たり前の話であると感じているわけですが、今回も辛辣な内容になります。

自分が良いと思ったモノだったり、必要なモノにはお金や時間などの価値を支払うというのは社会人、いや、現代人としての常識である。

それはモノが有形だろうが、無形だろうが変わらない。

提供されたモノやサービスに対して、価値の交換が出来ない人間、組織というのは、相手がどのような容姿・性格、評判が良くても縁を切った方が良いだろう。

何故ならば魂が『我田引水』だからだ

我田引水という諺(ことわざ)がある。

他人のことを考えず、自分に都合がいいように言ったり行動したりすること。自分に好都合なように取りはからうこと。自分の田んぼにだけ水を引き入れる意から。
引用:Goo辞書より

確かに自分に都合よく考えることは、世知が無い世の中では必要な考え方ではあったりする。

何かをするにあたって、必要となる経費は少なければ少ない程、良いわけだから。

しかし、それはあくまでお互いに良い方向に行く場合にのみ適用されるべきだ。

 

だが『我田引水』が染みついている人間というのは、表情が例えニコやかで、言葉では良いことを言っていても、周りを養分にしか考えていないのだ。

結果的にこういう人間はどうなるのかというと、ほぼ例外なく自滅することになる。

何故ならば『我田引水』の末路というのは、溜めた水が腐るからである。

 

人間で言えばマインドが腐った状態であるために、こうした人間は誰にも相手にされないし、自分のことしか考えてないから能動的に価値を外に送り出すことも、創りだすこともできなくなる。

自分よがりだからである。

 

自分勝手に生きていても良いし、人間というものは自由に生きていい。

だからこそ、こういった人間の存在も否定は出来ないのだが、あくまで縁を切った方が絶対に良いのだ。

自分の外に価値を与えない場合は・・・

自分だけが潤うのは気分が良いことであるだろう。

だが、満たした後に待っているものは、果て無き強欲である。

その為にモラルを失ったり、信用を失うような行為を行い、結果的に破滅を辿ることになる例は沢山あるのだ。

 

少々、本題からはずれるが、私の経験をいくつか挙げると、とある有益な情報に関しての話。

私は別にボランティアのつもりで最初はいいと思っていたわけだが、結局、相手側は何も支払っていないので、知って満足しただけで終わったのだ。

なんだ・・・もっと簡単だと思っていた。 楽に稼げると思っていた。

こういう具合だったように思える。

 

もしも、5000円でも10000円の微々たるお金や、それに見合う価値との交換をしていれば、相手が行動力を発揮していたと思うと少し悔しくなる。

ある医療系のポータルサイトを構築し、コンサルタントをしている古き知人・歳下のHクンに、この話をすると、私のボランティア根性を非常に残念がられたわけだ。

 

けーごさん、しっかりと金とらないと。相手は所詮、タダだと思って行動しないよ? けーごさんが色々と損しちゃってるじゃない?

 

確かにそうかも知れないが、過ぎたことである。

このケースは相手が『我田引水』というタイプでは無いわけで、私が誤っただけの話である。

 

加えて相手側は有益な情報を無料で聞けたということは、今後も同じ方法が使えると考えて更に卑しい心を強くもたせてしまったのかも知れない。

甘えた考えを植え付けたのかも知れないと思うと、私は自分で縁を切りたくなるタイプという人間を作り出してしまったのだろう。

 

そう考えると、自分で自分が許せない気分にもなったものだ。

 

昔から分かっていたことであるが、こういった経験から基本的には言葉の端々で『クレクレ君』や『乞食根性』が出ている人間というのは、そ~~~っとフェードアウトをするように心がけている。

こういう人間というのは特徴が出ていたりするのだ。

とれるリスクをとれる人間に

ちなみに私は有形・無形限らずに、良いと感じたものは積極的にお金を出して買っている。

結果的に使えなかったとか無駄になっても、それもまた学びになると思っている。

そして、何故、私がそれを欲しがってお金を出すという行動をしたのか?という心理状態を分析することも大きな学びになるからだ。

 

確かに巷には何の身にもならない高額商材だったり、詐欺商品をセールスする輩が横行している。

そして、あろうことか高い借金を背負わされて、買わされて嘆く者も多い。

例を出せばバイナリーやFXの自動売買ツールのセールスなどは、未だにFacebookなどで猛威を振るっていたりする。

そういったものには死んでもお金は払わないし、そもそも相手にしない。
(効果あるのかも知れないが、分からないモノには手出ししない方が無難なので)

 

だが、中には価値を交換しても良いものというのも確実にあったりする。

それを見極めてしっかりとした対価をこちらも気持ちよく支払って、Win-Winな状態になるというのが、本来の社会の形であると私は考えている。

そして、宇宙の絶対法則である1つであるリスク&リターンの原則に逆らった行動をとっていると、必ずいつかは調整されてしまうものだ。

これは少々、テーマから逸れることになるので割愛するが、自分はそれに逆らった行動理念を心に宿さないように注意している。

どちらをとるのかによって

余談であるが、未だにこんなことを言う人間がいたりする。

形のないものにお金を払うのは、おかしいし、そんなものを売っているヤツは詐欺師であると。

 

そういう人間もかつては学校に行っていたはずである。

教育というものを受けていたはずである。

教育というのは、ほぼ全てが無形であるにも関わらずに・・・。

それをタダで提供されていたと考えているのだろうか?

 

小学生レベルの小さな見方・・・或いは情報弱者であると思うのだが、それはいいだろう。

 

何にせよ現代人の我々がとれるリスクは大きく分けると2つである。

『時間』と『お金』である。

そのどちらのリスクもとれないという人間にはならないように、私は日々、気をつけていたりする。

 

リスクなき物事には真の意味で進化と成長は無いと私は断言できるからだ。

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