昔、私はこんなことを思っていた時期がある。
『資本主義だから、こんなに辛い思いしなきゃいけない!』
『結局、銭金で争いが生まれるなら、そんなものクソくらえ!』
『とっととプラウド主義になっちゃえばいいのに・・・。』
自分の好きなことをして生きていくには、お金が必要だけどお金を生み出すには自分が働かなければならない。
そして、働くということは普通に考えれば、付き合いたくない人と付き合わなければならないし、時間の拘束が必ずつきまとう。
自分自身が一生懸命、働いて得たお金も、帰った先に『穀潰し(ごくつぶし)』『浪費家』が一人でもいれば、何の意味もない。
今の私はお金で幸せは買えないことが分かっているが、お金に対して否定的なことを思っていたり、言ったりする人間とは距離を置くようにしている。
その理由は何故か? そして、どういう風に考えていけば良いのか?を記していこう。
結論から言って仕組みを受けいれる
そもそも生活するのに、豊かな日本だけに限定してみても、お金が要る。
ご飯を食べるのもタダではないし、便所いって用を足した後、水を流さなければならないが、それだって無料ではないのだ。
衣・食・住を整える為にはお金が必要であり、そういう仕組みになっているのだ。
『お金なんかどうでもいい、とにかく楽しいことを・・・』
とか、
『お金、お金って欲の皮が突っ張った卑しいヤツめ!』
『お金じゃないよ・・・大事なのは心とか人だよ・・・。』
と、否定する者たちは、私からすればガキで青二才であるし、仕組みから逃げているとしか言いようがない。
加えて『アナタはどうやって生活しているの?』と、おそらく一番、聞かれたくないことを私は平気で問いかけるだろう。
経験論で言えば、こういうことを平気で言って自己主張を通そうとする者は、他力本願であることが多い。
そして、隠しているだけで、実はメチャクチャ、お金大好きだったり、見返りを要求するタイプであったりもするのですよ。
その3人は幸せにはなれなかった
私の過去にあった人の話を読んで頂きたいと思う。
登場人物は3人。
内2人は血が繋がった者であり、もう1人は昔住んでいた近所のおじさん。
結論からいって、この3人はいずれもナマポになった。
ナマポとは?
生活保護(せいかつほご)の略称であり、インターネットスラングである。
蔑称として用いられがちであり、ナマポの中には不正受給者も非常に多いのが現状。
3人に共通するところ
非常に表向きは魅力的であると思う。
男は日本人ではあるがジェームズ・コバーンに似ているところがあり、とにかく人懐っこく、自分より力のある人間に取り入るのがウマかった。
女は色白でおしとやかな感じであったが、難しいことを論理立てて話せるミステリアスな印象がある人だった。
近所のおじさんも色黒でハンサムで非常に礼儀正しい人物であった。
男は人脈をうまく使って良い仕事にありつけるわけだが、実情は自分が本来すべきことなのに面倒なことは全部、自分がマウントとった人間に放り投げていた。
女は信仰を重んじており、その知識で一族の中心人物であったが、自分自身を神であるとして、影響下にある人間に思想を押し付けていた。
近所のおじさんはかつてのチワワブームで自分自身の経営するペットショップを大繁盛させるのだが、裏では極道並みのアコギな方法で自分の財力を拡大していた。
ちなみに3人に共通するところは、口がうまいということと、結局は他力本願でありプライドが異様に高いということであった。
まあ、あと容姿がいいということか(笑)
自分自身の思い通りにならないと、恫喝したり、時には同情をひいたりとか。
とにかく人のモノを欲しがるタイプであるから、露骨に真似をしたり半ば強引に手に入れさせたりして周りを不快にさせたり、呆れさせたりすることもあった。
そして、やたらと過去の思い出話が好きだった。
自分の良い時の思い出・・・そして、うまくいかなくなったのは全部、他人のせいにしていた。
挙げればキリがないのだが、この3人の口癖が・・・
『お金よりも大事なものがある。』
と、言いながらも、結局はお金があれば済むことが大好きであった。
例えば男は車が好きで、晩年の夢はレクサスに乗ることであり、お金がないのにも関わらずに何とか手に入れようとしていた。
自分の欲望を満たすために、自分の子供に借金させて買わせようとしたり・・・。
女は元々は信仰を絡ませた心理カウンセラーだったが、妹をうまく使って美容院のオーナーになった。しかし、うまくいかずに逃げた。
妹が知恵を振り絞って軌道に乗せると、今度はその美容院を買うと言い出す・・・もはや始末が負えない(笑)
近所のおじさんはペットショップが焼き討ちに遭い(?!)、晩年はガラス工芸品を作るフリーの職人さんであった。
だが、私が店を持った時や、自分の息子さんが飲食店を立ち上げた時は、そこに取り入ろうとして事あるごとにマウントをとろうとしてきたものだ。
そしてここが最大の3人の誤算であり、最大のミスである。
3人が全て自分を支えてくれた人間に感謝を向けずに、結果的には傲慢に下僕のように扱ったことだ。
お金は大事じゃない・・・何とかなるものである。
それは間違ってはないのだが、それを何とか作っているのは別の人間であり、その人間をうまく利用しているというのが結果だったのだ。
今だから感じる素直な気持ち
結局、お金じゃないという生き方をするのは、個人の勝手であるし、好きにやればいいと思う。
現代の人間というのは、誰もが自由になれるのだよ。 責任をとるのであればね。
だけど、お金というものが必要な仕組みなのに、それを無視した行動をとれば、結局は周りにその尻拭いをさせることになるのだ。
だったら、素直に『自分はお金よりも大事なものはあると思うけど、お金必要だ!』と認めて、その行動をしなければならないと私は思うのだ。
私は6年前に1人で生きることを決意し行動に移した後に、特にこの3人のことを思い出した。
『プラウド主義になればいいと思っていた・・・だが、今は俺は1人・・・。 お金に否定的になったら絶対に俺、ヤバいかも?』
と思い、お金の学びをするようになった。
とはいっても、経済学を学んだのではなくて、そもそもお金って何?という本質的なこと。
全てが分かったとは思ってはいないが、確実に分かったことがいくつかある。
それはお金というものは
「自分にとって都合の良い道具でしかない。」
「すなわち、それは架空の兵隊である。 お金には人間の念が染みついているから。」
「信用を数値化したものであり、価値を誰かに与えないと受け取れない。」
「が、それだけあっても幸せにならない。」
「結局は自分の幸せを掴むには、お金も自分の心も時間・・・人間関係・・・生活の営みに関わる全てが必要である」
と、いうことだった。
そして、それらを手に入れる為に、時間と自分の力をどこに振り切るかの選択をして、行動するしかないということを。
そんな人間たちを今思い出して感じることは
今はこの3人に対しては『感謝』している。
近所のおじさんは既に亡くなっている。
晩年は住まいで暴れたり、ご近所の方たちと揉めて警察沙汰になったりしていたそうだ。
そしてある日、帰らぬ人になったという。
以前から私がずっと利用させてもらっている店のマスターから聞いた。
血の繋がった2人はどうなっているかは知らない。
感謝はしているが、2度と関係を持ちたくないので、情報を聞くことも拒んでいるし無関心である。
何故、感謝していると言えば、付き合ってはいけない人間とは、こういった者であるということを知ったからだ。
そこは素直に『ありがとう・・・』と思っている。
そして、こういったタイプの人間が私の親しい人の近くにいる場合は、注意をおせっかいではあるが与える。
もちろん、それでも付き合いたいと親しい人が言うのであれば、止めはしない。
最後は私は親しい人の自由意志を尊重したいからだ。
それでいて親しい人が私と離れていくのならば、それもまた運命である。
出会いがあれば、遅かれ早かれ別れは覚悟しているから。
ちなみに今回の記事に度々、登場する『プラウド主義』という概念。
これはインドの経済学者・ラビバトラが紹介した社会経済理論です。
簡単に言えば、善を考慮する人生観であり、全ての生物の幸福を共有しようとするイデオロギーです。
と、いうことで、ここまで読んで下さってありがとうございました。