2018年6月10日投稿文の改作です。
これからは集よりも個の時代になると確信している私。
なので、この考え方は非常に重要であると感じています。
—–ここから—–
競争していかないと生き残れないというのは、現代人の中に植え付けられた概念。
確かに競争するからこそ、世の中は便利なもので溢れかえるようになった。
競争とは即ち誰か、何かと戦うことである。
今回はカテゴリもMindではなくTechnikal(テクニカル=技術的、技巧的)という感じで分けてみた。
技術もマインドが無ければ、何の意味もないのだけど、考え方というよりは一つの方法というにもとれる内容になる。
そんなわけで戦わずして勝つにはどうすればいいのか?を、解説してみましょう。
戦わずして勝つ
『戦わずして勝つ』とは言わずと知れた中国春秋時代の孫武が残した文言です。
正確には
敵を知り自分を知れば、百回戦っても負けない。
敵を知らなくて、自分を知っていれば、五分五分。
敵を知らなくて、自分も分かっていなければ、必ず負ける。
しかし、戦わずに敵を屈伏させれば善の善なる者。
敢えて分かりやすく現代風に書いてみましたが、要するに戦うということは大きなリスクがあるといえる。
何も殴り合いや殺し合い、罵り合いや蹴落とし合いばかりが戦いではない。
自分が何かの物事で成功したいという場合は、ライバルというものがいたりします。
そのライバルを意識して、物事に取り組むというのも、広い意味で言えば戦いです。
格闘家とか競技者ならば、この考えは当て嵌まらないのは認めますが、一般人も競争や闘争をしているのは昔から。
学校や会社などでも競争を誰もが一度は経験していると思うのですが、敢えていう。
競争というものは、その行為そのものは楽しめる要素もあるわけだが、結局はその世界の上の人間を喜ばせるだけの行為。
そして、それは間接的にも自分の自由を奪われているといえる。
そもそも戦う理由って何だ?
正直にいって戦うことは楽しい。
勝ったら勝ったで自己満足感を満たせるし、負けたら負けたで自分の足りないところが明確に分かるので改善しやすい。
しかし、そもそも人が戦う理由って何でしょうね・・・?
これは個々の価値観によって違うんですけど、人と戦っている時って寂しくないし、刺激的だからなのでしょうね。
元々、人間も動物であり、闘争に快感を得るという本能が備わっていますからね。
しかし、それは過去のこと。
特に私のように自由と孤独に重きを置いて生きている人間には、この考え方を知っているだけではなく、出来るようにしなければならないと常に感じています。
私の場合、勝敗の定義が若干、普通とズレています。
勝負は誰か、何かと競って出る結果です。
しかし、私の場合は勝負とは望みを叶える為の行動。
勝ちは自分の望みを叶えたとき。
引き分けは自分の望みが思うように叶わなかったとき。
負けは後悔したとき。
人と争って勝つことは、正直、楽しいし、負けても自分のレベルがより詳しく体感覚に落とし込むことが出来るので、ポジティブに考えています。
しかし、あくまで重要なのは結果です。
そして、結果を出すために頑張るのは、自分自身以外にありえない。
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戦わずして勝つ方法とは?
結論から言って、目的を絶対に忘れないこと。
そして目的を達成する為に全精力を注ぎ込むこと。
強いて言えば自分だけとしか戦わないということです。
勝負を挑まれた場合は無視し、本当に自分が大事なことに財・心・時の力を使う方がいいでしょう。
例えば1位になりたいとします。
1位と言うのはランキングなので、必然的に競争の中に身を置くと思いがちですが、私はそう思わない。
テストで言えば1位になるためには100点をとれば、確実に1位になれる。
営業で言えば、売上を上げれば確実に1位になれる。
例え他に100点を取った人がいても、他に売上が高い人がいたとしても、自分が1位なことには変わらない。
だったら100点を取るために・・・。
売上を上げることに・・・必要なことをすればいいだけ。
人と争えば、それだけ多くのあらゆる力が損なわれ、本来の目的が手段に変わり、結局、勝てないなんて事もある。
ならば戦わないで、勝つことに尽力した方がいいと思います。
多くの人間は優劣をつけたがる。
しかし、優劣はあくまで各々の価値観に根ざした主観でしかないし、そこに拘るのは非合理的であると思います。
加えて競争に参加すれば、後々に連鎖していく可能性も高い。
場合によっては自分の意図しないことに巻き込まれて、不自由になることも多いからです。
そして、好きであった物事を止めてしまいたくなる。
そして後悔し続ける。
それこそ本当の負けであると思います。
戦わずして勝つことこそ・・・
あくまで勝って結果を残し、それを繋げていく。
自分の有形無形の資産や力を大きくして、それらを有意義に使って幸せを築いていったほうが望ましい。
そして、そもそも戦う必要がない場所に身をおき、戦わなければならない状況に身を置かないことも重要。
旗が倒れてから何とかするのではなく、倒れないようにしておくということ。
始めから実は勝負は決まっていたりもするわけです。
戦わずにして勝つ。
これもまた一つの幸せの形を作る重要な考え方であると断言しています。
争いは本能に植え付けられたものであるが、そもそもこの現代に生きる為に何が不足しているというのか? 不足していないならば争う必要はない。
最後まで読んでくださって
ありがとうございます。
感謝しております。
Everything is going well!!
全てはうまく行きます。
それでは、またね^^