普段、あまりニュースなどは見ないが、新聞を読んで気になったのは『ネット依存』という言葉。
これって10年以上前から問題視されているのだが、特に子供に深刻な問題があると懸念されているという記事。
笑ってしまう内容であったが、今日はそんなことを皮切りにつづってみます。
子供に問題があるとされるネット依存
私が見た新聞には大層なことが書かれていた。
『たった5年でこれだけ深刻化しているとは』
『未来を担う子どもたちに・・・』
『脳が委縮して理性をつかさどる機能が低下・・・』
私からすれば『ふ~ん・・・』という程度のものであり、要するに大人たちが理解できないから、逆に不安がっているだけなのではないのか?と感じて止まない。
子供のネットの用途は主にゲームであるわけだが、現在のネトゲは重課金である為に、その負担はどうしても親が責任を持ってしまうことになる。
それは忌々しき問題であるのかも知れないが、そもそも、ネットの活用はそれだけに留まらない。
子供は正直であるから、本能の赴くままに生きる。
ゲームに飽きたら止めるし、疲れたら手を止めるし、ヤバいと感じたら逃げる。
むしろ、12時間、24時間ぶっ続けで一つの物事を行っている子供たちの集中力の源を褒めてやったらどうなのだろうか?と、私は感じる。
ネット依存に限らずリアルにも・・・
新聞にはこんなことも書いてあった。
『スポーツなど五感を使うことで、現実世界を大切にする』
『ルール違反には「翌日は使用禁止」などのペナルティーを』
などなど。
インターネットが悪の権化であるという書き方にも思える内容だが、これにも少々、解せないものを感じる。
ネット依存を何とか大人の都合で辞めさせたいのは分かるものの、ネット抜きの物、行為、事柄にも依存というものがあったりする。
しかし、それが実益が伴うものであれば、こんな警鐘などはならさないはず。
子供が実益を伴うことに依存するというのは、物事の絶対数が少ないが、強いて言えば勉強だったりということだろうか。
だが、それはあくまで大人都合であって、これから未来を生きる子供たちの答えではないのかも知れない。
時代は変わっていくものであり、常識は5年10年で簡単に切り替わるくらいに進化は早い。
それは問題視されているインターネットの力であるわけであって、それを無理に止めさせるとする行為そのものが、私は危険であるように思えてならない。
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私もネット依存であるが・・・
かつて私も成人を過ぎてから、ネトゲにどっぷり浸かった時期がある。
傍から見れば、その膨大な時間は無駄に思えるかもしれないし、当時、私も生産性のないゲーム会社の養分になってしまったと考えた時もあった。
しかし、今はそんな6~7年の時間も決して無駄ではなかったと思っている。
そもそも、どれだけ楽しい物事であっても、飽きたら続けられなくなるものだし、ネトゲに嵌っているからと言って、コミュニケーション能力が低下するかと言えば、そうではない。
何故ならばネトゲの向こうにいるユーザーも意志の通った人間だからだ。
自分の思い通りに全てが事が運ぶことも無ければ、必ずそこにも努力がいる。
むしろネット依存の方が強みになる場合も多々、あると私は思っている。
同じ様なことをするにしても、リアルならば空間の制約がある以上は、どうしても物理的にネックが生じる。
ところがネットだとそれが無い場合もあるので、円滑にスピーディーに目的が達成される。
これらの恩恵もあることを踏まえた上で、考えなければならないと私は感じている。
ネット依存であるからとはいえ、デメリットばかりを見て、それ自体を止めさせようと働き掛けるのは、いささか早計である。
ネット依存と子供の関係性
もしも、ネット依存をさせたくないと感じるのならば、子供が産まれた時から既に手を打っておかなければならないと感じる部分もある。
しかし、学校などで自分以外の人間が皆、ネット依存やそれに近いものがあるのならば、逆にそれが普通になってしまう。
依存という重い言葉で印象操作をするのではなく、むしろ、それを一つの才能として、別の事柄に転換させるという導きが必要なのではないのか?と、感じるのだが。
ハッキリ言って、ネットが無くても生きてはいける。
しかし、10年後、20年後、ネットが使えないということが、どれだけ社会で生きる為にネックになるのか?と、いうことは考えておかなければならないだろう。
特に子供の身を本当に案じているのならば、尚更。
いつの世も時代が変わっていることに気づかないのは『大人』。 実は『子供』の方がある種の真実に辿り着いていたりするのだが。
最後まで読んでくださって
ありがとうございます。
感謝しております。
Everything is going well!!
全てはうまく行きます。
それでは、またね^^