最近、数年前までは絶対に出来なかったことを生活に取り入れたりしています。

絶対に出来なかったことというのは、私にとっては難しいと感じていた『瞑想(めいそう)』というやつです。

私は寝ながらやっているのですが、今日はこんなことを書きつづってみたいと思います。

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瞑想とは

瞑想とは心を静めて神に祈ったり、何かに心を集中させること、心を静めて無心になること、目を閉じて深く静かに思いをめぐらすことである。この呼称は、単に心身の静寂を取り戻すために行うような比較的日常的なものから、絶対者(神)をありありと体感したり、究極の智慧を得るようなものまで、広い範囲に用いられる。
引用:Wikipediaより

と、定義されている。

私は基本的に日常、様々なことを考えながら生きている為に、数年前までは一番、難しいと感じる行為の一つであった。

性格的に30秒、何も考えないでいるということが出来ない男だ。

それに加えて、何も考えないということは、何も行動出来ないということでもあるので、余計に無駄な行為そのものという認識が強かった。

しかし、去年の秋頃から、どこか考えることをやめてみると、不思議な感覚に陥ることに気づいた。

うまく言葉には言い表せないのだが、何かと一体化している感覚になることもあれば、全く普段は思い出せない過去の穏やかで些細な情景が浮かんできたりする。

そして不思議と身体に及んでいるダメージの回復も早いということに気づいた。

瞑想のやり方なんかはどうでもいい

インターネットを検索してみると、瞑想のやり方やポイントなどを細かく解説しているサイトばかり。

しかし、瞑想とは基本的に無心になることや、一つのことに集中するということが目的であるので、やり方なんてものは何だっていいと私は感じている。

なので私は一番、リラックスできる状態で望んでいる。

単純に寝ながら力を抜くだけであり、頭の中は何も考えないということ。

夜ならば部屋を真っ暗にして、目を閉じる。

たったこれだけで、あとは一つ、もしくは何も考えないという状態にもっていく。

身体を起こしたくなったら起こすし、そのまま寝てしまうこともある。

とりあえず、こうしなければならない、ああしなければならないと言うことすら考えずに、自然に意識することなく出てきた感情を優先する。

寝ながら瞑想に至る前に

基本的にそのまま寝てしまうこともあったりするので、やることをやってから望む。

家事を済ませ、一日の中でやることを終わらせて、歯磨きを終わらせたりした後。

とにかく全てを出来るだけ放棄状態にしてから瞑想に望むようにしている。

特に私はとにかく考えたり、知識を詰め込むのが好きなので、スマホなどは欠かせないわけだが、それも瞑想する場合はなるべく手元から離す。

そうでないと、あれもこれも気になってしまって、瞑想状態に入ることが難しくなるからだ。

瞑想を生活の一部に多少、取り入れてから変わったことは、本来の物事に集中力が増したということか。

これもうまく言えないのだが、普段、ながらでやっていたことというのは、明らかにパフォーマンスが落ちている状態。

それが改善されているということか。

瞑想は気持ちいいからこそ危険?

世の中には一日に瞑想を数時間こなしている人間もいる。

それだけ気持ちがいいということなのだろう。

気持ちが良く無ければ、一日のうちに数時間もそれに集中することなんか出来やしない。

中には瞑想をしすぎて具合が悪くなるという例もあるようで、危険と称する人もいるくらいだ。

私は特に瞑想に関しては自然に任しており、むしろそれをやる前は色々とその環境作りをするというくらいのライトユーザーである。

以前は非常に難しいと感じて、無駄な行為であると思っていた『瞑想』。

それをしたいと思うようになり、出来るようになったのは、私も以前に比べて余裕が出来てきたことの表れなのかも知れない。


『瞑想』とは明らかに普段の自分では意識出来ないモノと繋がる方法であると、個人的には感じている行為なのだが・・・

最後まで読んでくださって

ありがとうございます。

感謝しております。

Everything is going well!!

全てはうまく行きます。

それでは、またね^^

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