全てを失ったら、どうやって生きていくのだろう?と、たまに考える時がある。
あくまで生きていくことを前提にした場合であるが、他人の例を参考材料にして記事を書くと供に、現在の私ならどうするか?を加えて記してみよう。
全てを失うとはどの程度まで?
結論から言えば、家無し、人脈なし、当然、カネもないという状態。
100%ゼロスタートであるが、実際にはこの状態に陥るということは、現在の日本においてかなり稀である。
ちなみに家も人脈もカネもないという状態に加えて、心の力も無いという状態ならば、なかなか厳しい状態だ。
更に付け加えてみて、身体が健康でもないというのならば、もはやどうにもならない。
実際には家も人もある状態で、心の力が無いということで自殺する人が大半なわけだが。
家無し、人無し、カネ無しの状態になると、不思議なことに背負っているものが無いから、心の力が増強されるという不思議なことが起きるそうだ。
とにかく全てを失った状態というのは、いわゆるホームレス状態のことと、ここでは定義しよう。
実際にホームレス状態から、巻き返した人を数名お会いしたことはある。
共通しているのは、人間好きで私の主観から見れば『寂しがり屋』に属するタイプであったと思える。
最初は何もない状態であるからこそ、プライドも維持する必要もないので、頼れる人を作り、その人を頼ってステップアップしていったということだ。
全てを失ったらやることと言えば
実際に現在の日本において、全てを失った状態の人間は手を差し伸べてくれる者がいたとしても、手を握り返すことは少ないという。
なけなしのプライドがあるのかも知れないが、人ぞれぞれ理由は違っていたりする。
中には子供を抱えた状態で身体を売って、日銭を稼いでいる女性もいるというのだから驚きである。
多くの場合は『自分がいると迷惑がかかるから。』という気持ちが大きいようだ。
何にせよ、そういった状態の場合はもはや本人の自由ということでしか、第三者的には言えない。
そして、この日本においても確実にそういう生き方しか出来ない人もいるのだ。
そうなってくるとやはり『野心』というものは大切であると感じるし、『自我(エゴ)』も時によっては活力を生む心の力である。
『けーご』は全てを失ったことは、この記事の定義上では無いと言える。
それに近い形の状態は経験したことはあったのだが、私の場合はまず何でもいいから働くことだった。
この時のことは今から8年以上前なのだが、そこから1年6か月(日数にすると567日)ほどで一人暮らしが出来るようになったわけだ。
当然、独立する際には自分の金でやったし、借金もあったわけだが。
しかし、これは色々と計算していたわけではなく、ただ流れのままに、その時、その刹那、やることをやるという気持ちで生きていただけ。
実際に1年6か月という数字も結果論だったと今は思っている。
私がもしも再び全てを失った・・・もしくはそれに近い状態になったとしたら、日雇いでも何でも働くことをする。
出来るだけ人に頼らない様にしながら・・・当然、友達も作らない。
ただひたすら与えられた仕事を一生懸命やって、日にち薬の効果を使って選択肢を増やしていく。
実際には全てを失うというのは、正直なところ現実味が無かったりもするのだけどね。
むしろそれは意図的にそうしない限りは、現実に起きないことでもあるんだよね。
特にこの日本においては。
その後はどうするのか?
まあ、とりあえず日雇いでも何でもいいから、働く場所を見つけました。
とにかく何が何でも住所を確保して、今ならばスマホを手に入れることから始める。
それこそ、駆け込み寺みたいなところを見つけて、飛び込んでしまう。
人によっては、悪事を働いてビクビクしながらという道に進む人もいるだろうけど、それは邪道と思っている。
何故ならば、それって結局は『自由』が手に入らなくなるからです。
とにかくこのフェイズ(段階)だと、基本的に自分が他人に価値貢献できる対価は『時間』と『労働力』しかないから、積極的に失い続けて『カネ』を手にするだろう。
で、ある程度、貯まったら(30万円くらいかなぁ?)、自分で一人暮らし出来るところを探して住む。
おそらく、この時点で早くても半年くらいは経過していると思われる。
(あくまで出来るだけ一人ということを考慮した場合)
フリーメールアドレスを取得して、今だったらASP(アフィリエイトサービスプロバイダ)に登録して、セルフバック案件を片っ端からやる。
セルフバック案件をクリアしても、おそらくは報酬は2か月後に入ることになるから、2か月間はそれまでと変わらずに地道に活動するべき。
そして絶対にやることは、インターネット回線を引いて、安くてもパソコンを手に入れること。
心の力(私は魔力と言っている)がどこまで残っているかにもよるが、それらをチャージしつつ、別の経済活動を並行する形で動く。
何故、別の経済活動をするのか?と、いえば、働くところは何があるか分からないし、仕事を与えられているという状況に甘んじては危険だからである。
しかし、全てを失っている状態よりはマシであるし、まずは自分の生活を多少なりとも安定しなければ、次に進めないと思うからだ。
あとは自分次第で螺旋状に昇降するフェイズ
あくまで私の場合はってことです。
多くの人は親だったり、兄弟だったり親族・・・もしくは友達や恋人を頼って最初を凌ぐとは思う。
そして、それが普通だと思う。
とりあえず、この時点では・・・
- 各種の書類に書けるだけの雨風凌げる住まいがあります。
- インターネット回線とそれを使うツールがある(PCやスマホ)
- 生活費を捻出出来る仕事があります。
- 全てを失ってから、そこまで整えた心の力があります。
こうなったら更に道が分かれると思っている。
実はここで一つのスゴロクのアガリといってもいいんだけどね。
何故ならば、あとは自分の価値観と状況次第であって、『普通』の状態になれているからです。
低所得者だろうが、高所得者だろうが、それは関係ない。
世の中には10万円にも満たない月収で幸せに暮らしている人もいるし、300万円の月収をとっている人でも火の車になっているアホも珍しくないから。
ちなみにそこまで上がっていけたということは、そこから下がることもあるから、その辺は頭を使わないといけないけど。
価値観によっては、ここから結婚したいって思う人もいるだろうし、もっとカネ稼いで贅沢な暮らしをしたいって人もいるだろうし。
もっと人脈増やして、コネクターみたいに生きたいって人もいるだろうし、それは自由。
私の場合は前述した過程を既に踏んでいて、世間一般的な『自由』を手に入れたことがある。
で、今でも有効的な方法であると断言できる。
でも、結局、結果的には下がってしまった。
とは、言うものの、一応、スゴロクのアガリは維持出来ているので、選択肢が多い状態ではある。
ほぼ全ての事象は螺旋のように
かなり端折って書いてみたけど、とりあえず今日はこの位にしておきます。
最後にまとめとして・・・。
全てを失っても、『時間』がある。
自分自身がどの位のスペックかにもよるけど、『時間』=『労働力』として価値提供は出来る。
それを対価に魔法の道具である『カネ』を手に入れて、『自己投資』する。
自己投資によって得たモノによって、更に時間とカネが生まれたならば、『再投資』するべき。
そうやって螺旋状に自分の環境を、自分なりに良くしていき、自分の幸せを創っていく。
それこそが正に『自由』であると思っています。
ちなみに螺旋状に下がっていくパターンを、締めくくりに嫌な話にはなるけど、付け加えておく。
螺旋状に下がっていくパターンというのは、多くの場合は自分以外の他人やメディアによってもたらされます。
そうでなければ、自分自身の再投資先が投資になってない場合です。
つまり、娯楽に自分のリソース(資源)を使いまくっているという具合です。
『自由』を維持していくには、それなりに自分を律する必要があるし、律することでストレスがかかって不健康になるというのであれば、自分自身の頭を変えるしかありません(笑)
最後まで読んで下さってありがとうございます。
Everything is going well!! 全てはうまくいきます。
では、またのう(´Д°)ノシ