孤独を宿星とする鈍色の狼

昨日、税理士さんと久々に会い、打ち合わせ兼ねての雑談。

 

自分が知らない世界の話というのは、難しい反面、非常に新鮮で楽しいと思える。

 

どの世界に生きている人も多くはやはりカモのような形なのかも?

 

ここで言うカモというのは、養分的意味合いではなく、実は見えないところで頑張っているという意味ね。

 

と、まあ、こういった古い精神論的な話は置いておいて、今日は私の宿星ともいえる言葉について。

 

記事タイトルからして、妙にカッコつけているのかも知れない。

 

孤独、狼に加えて『宿星』と書いてしまう辺り、誤解されそうな気もするが、決して格好つけているわけではない。

 

ただ、自分が表現したいコトや、伝えたいコトなどを考えると、こういうタイトルが合うと思ったまでだよ。

 

・・・・・

 

もうずっと前から私はボケたジジイの様に『孤独』というキーワードをよく使っている。

 

このサイトの名前【たった一人の魔道】なんかも、孤独という言葉がイメージつきやすいものとなっている。

 

自由という言葉もよく使うが、その言葉と同じくらいに孤独とは重く深い言葉であると思っています。

 

以前にも書いたけど、私は孤独を愛しているし、何かに依存して生きていない。

 

でも、よくペラペラな人間が『孤独』云々という言葉を使っているのを見ると、少々、ムッときちゃう。

 

大抵、そういった人間のコンテンツなどを見ると、明らかに人を欲していて、誰かに同情や関心をもらいたくて演じているだけの内容が多い。

 

孤独? 君はその本質を全く分かってない。 舐めてんの?(´Д°)凸

 

って私なんかは思うわけだよ。

 

孤独だから友達がいないとか、恋人がいないとかそういう話ではない。

 

孤独だから人付き合いが下手とかそういうことではない。

 

20年以上付き合っている親友がいるし、兄の様に思っている人もいるし、恋人もいる。

 

私が何かトラブルに巻き込まれてしまった場合は、親身になって相談に乗ってくれて動いてくれる法律家もいる。

 

だけど、私は孤独である。

 

私は何かに依存して生きているわけではない。

 

会社に安心安定の対価として糧を貰っているわけではない。

その魂・・・活力の源を誰かから与えられているわけでもない。

自分が生きていくにあたって、精神的な支えになる人間はいない。

 

私のマスターは、私だけなのだ。

 

だからこそ、積極的に私は自らを社会に問い掛けもしないし、例え失敗したとして遠回りだったとしても自分で考えて自分で見つけるということに拘っている。

 

なので、私は『たった一人』だし、『孤独』なのですよ。

 

そして、それが私の活力の源の一つとなっている自負がある。

 

前述したペラペラなヤツって、孤独に筋トレ頑張るとか、勉強頑張るとかさー、仕事頑張るとか。

 

つーか、当たり前だよね?そんなの。

 

筋トレなんてものも、勉強なんてものも、仕事なんてのも、自分の為にやるわけだし、他人関係ない。

 

自分がそうしたいからやるのであって、それは自分以外に誰が頑張るのだろう?って思う。

 

こんなことをイイ歳こいたオッサンがドヤ顔で言ってるんだもん・・・笑ってしまう(;^ω^)

 

まあ、辛辣な酷評はさておいて、経済的に自分一人で狩りをするしかないという状況と、精神的に自分で考えて行動するという状況。

 

囲いの羊は毛皮はとられるけど、安全圏で拘束されながら生きていける。

囲いから飛び出した狼は安全圏が全く無いし、手負いになる可能性はあるけど、自由に自分の狩場を決められる。

この違いだ。

 

ちょっと抽象的で分かり辛いかも知れないが、心底、一人の状況を作っているのか?ってことだよ。

 

これは当然、出来る人と出来ない人がいる。

 

誰かと一緒じゃなきゃ嫌だ!

友達100人出来るっかな(#^.^#)

みんなを・・・人を巻き込んで!( ̄▽ ̄)

 

ってタイプの人は、おそらくは3日続かないだろうね。

 

まあ、気狂うだろうねぇ。。

 

そもそも、こういう人たちが孤独を恐れるがあまり『ぼっち』というスラングを作ったのだろうと個人的には思っている(ぶw

 

私も分かっているよ。

 

所詮、人間一人で出来ることは、たかが知れている。

 

昭和の時代では私が自分で考えて具現化したことや、これからやろうとしていることは『絵空事』であっただろう。

 

だけど、今は違うのだ。

 

逆に『集』ではなく『個』の方が数という点でのハンデはあるが、軽さがあるわけですよ。

 

最大のメリットがそれなんですよね。

 

だけどね、実は昔から分かっていたことがあるんだよ。

 

何をするにしてもね、自分が絶対的な孤独に身を置いて、自立しているとね。

 

いらねー!ったって、実は自分のありのままを見てくれながら友好的に近寄って来る人が現れるもんだ。

 

こういう人たちとは『共感』しやすいので、良い人間関係を作りやすいものだ。

 

そういったのは確実に『縁』なので、それは大事にしているよ。

 

 

繰り返しになるんだけど、孤独というのは決して数で決まるわけでもない。

 

その精神性・・・心の力であって、経済的にも精神的にも自立しているかどうかの問題。

 

勉強、筋トレ、仕事などを頑張っているから、孤独っていうペラペラなことではない。

 

自分が望むことを他人がいなければ頑張れないというのは、その時点で他人に自分の人生を決められてしまっていると証明している様なもの。

 

私の人生、アナタの人生は、私だけのもの・・・そしてアナタだけのものなのだ。

 

〇〇さんがこう言っているから・・・

テレビ、新聞、ラジオにはこう書いてあった。

〇〇の皆さん、感謝・・・僕は孤独に頑張っています!

 

ってシャバイ発言は、もうやめようよ・・・って思ったりします。

 

まあ、少なくとも私が見ている世界の中で見たくないって話なんですけどね。

 

ですが、『孤独』である以上に私は『自由』が最大の魂・・・宿星だと思っているし、最終的には他人に対してもその人の『自由』を尊重していきたい。

 

だから、例えそれが

 

私が首を傾げることであったにせよ・・・。

それが完全にその人の為にならないことであると分かっていたにせよ・・・。

その人が堕ちていくことになっていったにせよ・・・。

 

その人がその瞬間、その刹那の心情で判断して決断した事ならば、最大限に尊重していきたいとは思っている。

 

それをしなければ、私が私でいられなくなるからです。

 

なので、私には何をどうあっても止める権利は有していないということになります。

 

 

最後まで読んで頂いてありがとうございます。

 

Everything is going well!!

 

全てはうまくいきます(^ω^)

 

ではでは(´Д°)ノシ

 

 

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しかし、私も最近、何か大きなものに流されていたのかなぁ・・・と気づくことが多々あったりします。

 

まだまだ精進しないといけませんね・・・。

 

元々、自分のことを頭が良いとか、優れているとは微塵とも思っていませんが、幾らなんでも・・・って自己否定していたりします。

 

本来ならば既に虹色の狼になっていた筈なんですけど、まだまだ薄汚い鈍色じゃねーかって思っていますよ。

 

んまあ、楽しんでやります。