今から10年ちょい位前は、本当に生きているのがシンドイと感じていたことがあります。
当時の私は借金を抱えていたし、かといって良い仕事にもありつけていなかったので。
でも、ある時にこういう考え方をすれば、ちょっとは楽しくなるかも知れないと思って、心掛けにした幾つかのことがあるわけです。
そして、それは現在でも使っていたりするわけです。
ゲームにハマったことのない人には全く通じないかも知れないけど、出来るだけ分かりやすく書いてみます。
答えはロールプレイングゲームそのもの
魔道ブログを読んで下さっている方ならば、散々、読んでくれているだろう1つのこと。
それは『けーご』が元ゲーム廃人で特にリネージュという韓国のMMORPGが大好きであったということ。
リネージュのシステムに置き換えると、話は早い。
ですが、魔道ブログの読者様の殆どが『そんなゲームなんかシラネ。』という感じだと思うので。
あくまでRPG(ロールプレイングゲーム)の定番システムや仕様をざっくりと改めて書いてみる。
自分が操作するキャラを作りました。
そのキャラは自分の分身です。
分身をとりあえず強くしましょう。
強くすればどうすればいいのか?というのは、敵を倒して経験値とゲーム内のお金を増やしていく。
経験値をためることによって、一定の基準に達するとレベルというものが上がります。
レベルが上がると、キャラのステータスが上がります。(体力や魔力や力・素早さなど)
それと並行して、ゲーム内のお金で武器や防具を買ったりします。
レベルを上げるということは、キャラの内面を強くすることであり、お金でアイテムを買ったりすることは、キャラの外面を強くするという感じ。
自分が強くなると、より強い敵を倒せるようになる。
何故、強い敵を倒す必要があるのか?と言えば、そちらの方が経験値とお金の入り方が高いから。
時間の短縮にもつながるし、自分自身も刺激が強くなるから楽しくなるといった具合。
ゲームにはそれだけではなくて、MMORPGであればプレイヤー同志でアイテムの売買が出来る。
それによって自分に有利な交渉だったり、お互いが得する商談を成立させてWin-Winになることも出来る。
商売だけではなく、共闘(きょうとう)という形で、強いボス級の敵なんかを供に倒して行ったり。
コミュニケーションを取り合って組織を作り、他のプレイヤーや組織と戦争したりとか。
そうやってどんどんキャラのあらゆる強さを相対的に上げていき、選択肢を増やしていき目的を達成してクリアする。
これがロールプレイングゲームです。
さあ、ゲームをしていない人でも、ここまで読んだ方で鋭い人は気づいたと思います。
『あれ? これって現実でも「あるある」じゃない?』
要するに答えは目の前に広がる物事を、出来るだけ自分の頭の中では、ゲーム化する様にしましょうということです。
何故、ゲーム化出来るのか?
結局は我々、人間というのは時間と言語に支配されているといってもいい。
数字というものも言語といってもいいわけです。
ゲームにおいては何よりも『数字』が大多数の仕様においての基準になります。
自分の分身であるキャラを作ったばかりの時はレベル1。
レベル1から52になったら、体力も力もレベル1の時とは比べ物にならないくらいに数字が上がっている。
その過程の中で、それだけの敵を倒しているから必然的にお金も貯まっているので、自分の装備(武器・防具)も性能の良いものになっている。
装備が強いものになれば、敵を倒す時、その他の物事にもより早く安全に対処することが出来る。
しかし、それというのも結局は自分の強さという『数字』を上げていることに過ぎないわけです。
現実世界において、難しいのはゲームでは分かりやすく強さの数字が表れていますが、現実にはその数字は現れないということです。
ですが、特定の物事に対しては数字で判断できたりします。
例えばお金。
自分の資産が0円よりも、10億円の方が豊かであることは間違いないし、10億円よりも1000億円、1兆円の方がズバ抜けてスゴイというのは簡単で分かりやすい。
お金だけでは色気がないので、各種メディアにおいても置き換えてみましょう。
例えば私がスゴイと思っちゃうブログって、デザインとかプラットフォーム(無料・有料問わない)とかは、どうでも良かったりします。
現在は2021年ですが、2004年から書いていて、今でも更新しているというブログが『スゲェェェ!!』って思って、ファンになっちゃう。
もちろん自分自身の心の中に少しでも引っかかるコンテンツがあっての話ですけどね。
これは要するに17年も同じことをし続けているということであって、素直に感服してしまったりしちゃうわけですよ。
やはり、ここでも数字ですよね。
会社の同僚で全く話しない人がいますが、密かに尊敬してしまう人がいたりする。
現在の会社が設立されてから、ずっと同じ立場で続けている50代後半の先輩。
寡黙で余計なことをしないし、淡々としている人がいるんですよ。
奥さんと二人暮らしの方なんですが、何か生活の情景が浮かんでくるような人。
何十年以上勤めている人なんですよね。
全てにおいて当てはまるというわけではないですが、数字の蓄積だったり上限というのが、信用とか評価の基準になったりもするわけですね。
もちろん、誤解しないで欲しいのは、数が多いから凄いというわけでもないし、数が少ないからこそ凄いということもあったりする。
何にせよ様々な物事をゲーム化する為には、自分自身の物事の見方や考え方と、数字を意識するとやりやすくなるのです。
考え方一つで目の前の物事が・・・
前述したリネージュというゲームにどっぷりと浸かって、一般的には多くの時間をロスしたと言われても否定は出来ない。
ですが、今よりも若くこのマインドが無かった、悶々としていた時期。
特に仕事中に過度なストレスを抱えることが多かった私はある時に
『今の俺の見ている現状をリネージュ(ゲーム)に置き換えられないかな?』
と、考えるようにすると、だいぶストレスを抱えることが少なくなった感があります。
ゲームは楽しいことだけど、その楽しいことの中にも『面倒』とか『だるい』とか『やりたくない』とか『不快!』と思うことがあるわけです。
だけど、ゲームだから出来ちゃうわけだし、やりたくなってしまうわけですよ。
自分が興味の沸いた物事に対して、何らかの結果を出すためには、続かせることが重要なのは間違いない。
『やらなければならない』ではなく『やりたい』という気持ちを自分の心に芽生えさせるには、ゲームの様に考えればいいということなんです。
私はよく特定の物事に際して、数少ない親しい人に言うことがあります。
『大丈夫、結果が出て当たり前だから。』と。
自分がそこまでゲーム化するくらいに意識的に物事を続ければ、結果が出ない方がおかしいからです。
なので、これから私がやろうとしていることも、どこでブレイクスルーするかは誰も分かりませんが、結果が出ることは間違いないわけです。
もちろん、何かのアクシデントに見舞われてしまうかも知れません。
それによって、特定の物事が続けられないということがあった場合はこの限りではありませんが。
楽しんでいる人間には、生半可な気持ちでは勝てないというのは、こういった理由があるから。
ゲームの様に楽しんで時間と思考、たまには言葉を駆使すれば、一見、辛いと思われる物事も楽しめたりするわけです。
だって、ゲームなんだから。
敢えて今、この気持ちを蘇らせる
自分自身の生きた痕跡というものを、自分が後になって見返してみて『良い!』と思うものを創ることへの喜び。
ここから得るものというのは、『カネ』だけではなく『達成感』であったりするわけです。
その『達成感』というのは、おそらくは人間が感じられる幸福な情動の中で極めて上位に位置づけしてもよいものであると思います。
これは自分の心の奥底から純粋に湧き出る感情であり、何かと交換できるものではないからです。
日々、忙しい現代人が本当に大事なことに取り掛かる際に必要な心の力である『モチベーション』や『活力』。
そんな情動を自ら作り出す1つのマインドセットとして、参考になれば幸いです。