IT(情報技術)はここ20年で爆発的に飛躍しているわけで、それはとどまることを知らない。
今日はその中でも個人が出来ることで、最も価値があると思われるLess(レス)化に関して、思っていることを書いてみます。
空間を無に出来る
レス化とはもっと少なくできるということであり、情報技術が発達しての最大の恩恵はここにある。
もっとも分かりやすいものとしては、それまでは何かをするには、まずは移動というものが必須でありました。
例えば、昔はわざわざ所定のお店にいき足を棒にしながら、一軒一軒回って望みの物品を品定めして購入していました。
今はそれも殆ど無くなりました。
何故ならば、どこに何があるか分からなかったし、それが良いものかどうかを判断する情報が乏しかったからです。
しかし、ある一時期を境にして家にいながらにして、所定の商品やサービスの情報が手に入り、決済までも出来るようになりました。
それはパソコンとインターネットを駆使するということで実現が可能な行為なのですが、現在はそれすらも必要でなくなりました。
何故ならば、スマートフォンなどの小型端末はパソコンをそのまま持ち歩けるということと同義語。
それこそインターネットが繋がる場所ならばどこであっても所定の商品、サービスを販売している無形の情報場にアクセスが出来るようになったからです。
アマゾンがかつて書籍の販売で隆盛を極めて、小売業を制覇したのは、紛れもなくこの様に空間を無に出来ることを証明したからに他ならないからです。
時間の短縮が根本
古代は何かを物々交換することで、互いに恩恵を享受し合うことを成立させていました。
物々交換は物そのものが痛む、腐る、劣化するなどの時間が敵になる自然の摂理が働くために、通貨や紙幣というお金が生まれて、それが交換の道具として流通することに。
これは人間だけに価値のある、人間だけが使える非常に効率化された道具であるわけで、恐ろしく便利なものであるのは言うまでもない。
近代ではお金が社会の血液になっており、それは人々の価値観すら変えてしまう強力なものに変化を遂げました。
しかし、これすらもリスク(不確実性)があり、物々交換というそのものからは逃れられなかったわけです。
欲しいものがある→その場所にいく→買う、物理の世界で行われる行為そのもの。
便利になったわけですが、これそのものはやはり時間を使う一つの行為からは逸脱は出来ませんでした。
ところが現代はそれすらも変わろうとしているわけです。
それを可能にしたのが前述したような情報技術との合体技であったわけです。
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しかし忘れてはならないことがある
そもそも我々は心の中(脳内)が満たされていれば、例えお金があろうが無かろうが幸せを享受することは出来るわけであります。
思うがままに自分の欲求を満たすことが出来れば、手で触れて臭いを感じるモノに依存しなくても、心の平安を持つことが出来る。
だからこそより効率化、合理化に進んでいき、年々、Less化していくことで、脳内の情報処理だけに集中することが出来る土台がすでに完成している。
例えば書籍が1000冊もあれば、自身の住んでいる場所を圧迫し、それが目につくというということが起きる。
処分しようとすれば、そこそこの労力がとられるわけで、色々と手間が必要であり、暇(時間の余裕)が無ければそれは叶うことは無い。
ですが、1000冊の書籍がKindleなどの電子書籍であった場合は、場所はとらないし、捨てることも容易。
と、いうか捨てるという行為すら要らないといえる。(アクセスしなければ目につくことはない)
所謂、これがペーパーレス化ということだったり。
ペーパーレス化は空間に余裕をもたすということとも同義語であるわけです。
今後は前述した通貨の交換ということもLess化に進み、その動きは既に始まっていたりします。
キャッシュレス化は既に始まっており、その余波は既にあらゆるところで起きており、確実に全世界を飲み込んでいくと考えて差し支えないと言えます。
現金が消えた国?スウェーデンで見た財布とスマホ|NHK NEWS WEB https://t.co/Rq6n71XPUz
— けーご (@KeigoHoriguchi) 2018年7月15日
しかし、空間に何もないということは、それは即ちこの世のものではなく、あの世のものであるということだけは理解しておいたほうがいいと感じます。
この世のもの=五感で確実に認識できるもの。
あの世のもの=感覚全てで認識できないもの。
これを踏まえたうえで自分自身がそれらをどこまで取り込んでいくのか? どこまでそれをやるのかの選択が今後は重要になっていくと思われます。
弊害も確かにあるがそれ以上に
ここ数年で私の身の回りには極端に物が少なくなりました。
しかしだからこといって原始的な行為そのものを無くすということまではしていません。
自分の心にインプットする行為は物理的力を加えて落とし込むことが、やはり効率が良かったりします。
書く、話す、感じるという行為そのもの。
五感を使う行為そのものは心に働きかける刺激が強いので、それらを効率化し、Less化したところで、今度は忘却しやすいという状態に陥るからです。
ですが、生活空間に物が無くなっていくということは、それだけ余裕を生み出します。
この魅力は避けられませんので、自分にとって、どの状態が相応しいのかという新たな課題と対峙することは避けられないといえます。
私たちは今後はあの世に向かって進んでいっているのか? しかし忘れてはならない感覚も確かに存在しているのは間違いない。
最後まで読んでくださって
ありがとうございます。
感謝しております。
Everything is going well!!
全てはうまく行きます。
それでは、またね^^