インターネット上は、100%に限りなく近い状態の自由な空間であるといえる。
2000年以降に生まれてきた若い命は、これが当たり前であり普通のことであると感じていることだろう。
ところがそれがどれだけ凄いことなのかを認識している人間は、まだまだ少ないと言えるのかも知れない。
今日はそんなお話。
以前は必ずといっていいほど・・・
勉強、娯楽、手法、体験など、我々の生活を支えているのは、言葉によって作られた情報である。
その情報を得る為には必ずといっていいほど、先にそれを知っている人間の助けを借りなければ得ることは出来なかった。
また自分自身が情報を発信するということは、公に示すには大きな組織にお伺いを立てて了承を得なければ、それが叶うことは無かった。
それは情報の統制を生み出して、結局は一方的な価値観を受け容れざる得ない状況を生みだしてきたといえる。
何も知らない人間は、それを受け容れて、自分の価値観を育てていき、普通となっていく。
例を挙げればテレビ・新聞・ラジオなどである。
『テレビで言っていたから当たり前で正しい。』
『新聞で言っていたから大丈夫だろう。』
『ラジオで言っていたから信じれる。』
ところが全てを鵜呑みにしてしまうと、知らず知らずのうちに本来、自分が望んでないことや必要でないことに、多くの時間とエネルギーとお金が浪費させられるということに繋がる。
それが社会の経済を支えているから、必要であると言われてしまえば、それまでではある。
しかし、多くの無駄を生み出した結果、自分自身の生活が廃れて、人生が不幸なものに結果的になってしまうということほど悲劇的なものはない。
現代は自由・・・だからこそ
現在もテレビ・新聞・ラジオの影響力は非常に強いが、昔ほど情報の統制がとれなくなった。
何故ならばインターネットが爆発的に普及し、既に現代人の生活には無くてはならないものになったからだ。
それは、情報を受信するということだけではなく、発信することも出来るという利便性がある。
それまでは空間と情報源の制約があったが、それが無になったことによって、ありとあらゆる箇所で効率化が行われるようになった。
だからこそ廃れ、この世から消えた産業や文化があるのだが、それは時代の流れであり、本当に必要ではなかったものであるから消えたとみて良いと私は感じている。
良いもの悪いもの、新たに生み出された情報を、自分以外の誰かに伝える為に必要であった『依存』という行為。
自分より大きな力に依存して伝えてもらう必要が全く無くなったからこそ、それまでは非常に手に入れることが難しかった『自由』が手に入るようになったと言える。
しかし、自由の代償として挙げられる一つのデメリットとしては『無秩序』というものがある。
本来は価値どころか無価値、多くのマイナスを引き起こすことであっても、それが氾濫する状態になってしまった。
インターネット検索サービスを事実上、制覇したといえるGoogleも日々、こうしたものに対しての対処をしている。
故に日々、検索アルゴリズムを改善・進化させているのは、この為であり、おそらくは永久に続くものと思われる。
ここでいうアルゴリズムとは?
Googleをはじめとする検索エンジンが検索結果でWEBページにランキング付けをするための計算に用いられるランキングアルゴリズムを指す。
引用:SEO HACKSより
ところが価値というものは情報を受信する、或いは発信するユーザー側の問題であることは避けられない。
よって送受信するユーザーの姿勢そのものが、人間の本質に根差しているものであれば、無秩序であろうがなかろうが、自分の生活や人生に何ら関係がないと断言できる。
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だからこそ自己責任
実際に誰でも情報発信や情報の受信が出来るからこそ、何が自分にとって有益なのかの見立てが重要になってくる。
結局は自己責任ということに行き着くわけであり、それ以上でもそれ以下でもない。
しかし、自分が責任をとれる範囲であるならば、何でも思いのままに情報の収集と発信が出来る土台があるということが凄まじい。
それは本来は支払わなくても良い対価を傲慢に搾取していた人間や組織を無力化させることに繋がったことも評価に値するといえる。
自由であるからこそ、中には特定の人物や組織を誹謗中傷して、法律によって裁かれるという愚か者や輩はいるのだが、それも結局は自己責任であるし、使いこなせなかった人間に対しての対処としては妥当なものである。
自由だからこそ、何でもやっていいということにはならないからだ。
それを踏まえた上で、これら便利なインフラを自分の生活を良くするために役立てていくことが、今後の発展にも大きく貢献できる誰でもできる行動であると感じている。
情報の受信にしても、発信にしても、自分は行動するだけでいいというシンプルなことで恩恵を得るという行為は成り立つのだ。
出来ることは無尽蔵にある
こうした参加不参加が自由である土台があることが素晴らしい理由の一つとして、特に自分自身に何かの特筆すべき情報元が無くても、その恩恵を引き出しにいけること。
考えれば、その方法は無尽蔵といってもいいくらいに沢山の手法に溢れかえっている。
あとは自分自身が何を選択して、そこに力を注ぎ込むかによって変わってくるのだが、これは自分自身をよく理解していれば自ずと適正に気づくことが出来ると感じている。
インターネットは進化することはあっても退化することは考えられれない。
あとはそれをどう使うかが、自分の未来を大きく変えることになると言ってもいい。
最後まで読んでくださって
ありがとうございます。
感謝しております。
Everything is going well!!
全てはうまく行きます。
それでは、またね^^