I Would If I Could But I Can’t  7月7日に放たれた言霊

一か月以上、更新してませんでしたね・・・。

最近は会社に行くなどの経済活動と並行して、楽しいことがあったりするので、どうしてもそちらに意識が向いているのですよ。

しかし、今日は7月7日という『けーご』にとっては、割と大事な日でもあったりするので、更新してみます。

 

基礎を再確認し固める行為

最近、主に時間と活力を使っている物事は特定の分野に関する『学び』。

カテゴリ分けするのもアホらしいわけですが、しいて言えば『認知哲学』になるのかな?

 

そもそも『けーご』は10歳未満は疑問ばっかりもっている『イジメっ子』でファミコン大好きなガキ。

10代は根拠のない自信を持って夢を見続けながら、狂暴性を水面下で体現していたボンクラ?不良?みたいなクソガキ。

20代は自由の意味も理解せずに、好き勝手にやっていた大人になりきれない子供。

30代は人生の転機が多く、基礎が大事であると痛感した時期。

 

表面的には無駄になったことばかり・・・と、思っていたこともある。

だけど、欲望を満たしたからこそ、次のステップに踏めたことは否めない。

ならば、それは無駄ではなかったということです。

 

そんな感じだった私がまさか現在、そんな認知哲学みたいな分野を紐解いているなんて、想像もつかなかった。

何で今、すぐに銭にもならない、小難しいことを探求しているのかと言えば、未来に繋がると確信しているからですよ。

加えて学びと並行して今、自分の環境を最適化している状態だったり。

 

こんな地味で質素な生活が実は凄く楽しいし、幸せを感じていたりするわけです。

 

世俗は相変わらず虚飾が多い

現在は社会人として所謂、普通の生き方をしている私。

ストレスを感じることもあるし、喜怒哀楽愛憎を感じながらも、総じて『楽しい』し『楽』な生活を送らせてもらっている。

だけど、何と虚飾なことが多いかと感じることも多い。

つーか、それ自体がもう当たり前で、セオリー通りなのかも知れないとさえ思っていたりする。

 

猛威を奮っているコロナ禍なども、蓋開けてみれば人為的にコントロールされている人災であると私は考えているわけで。

だからといって、それを否定しないよ。

今はそれによって世界は回っている部分があるのを分かっているし、そうしなければならなかった理由もあるんだろうとも思うから。

 

でも、実は今にはじまったことではない。

昔からこうやって人間社会はエネルギーの循環をさせているわけですよ。

それを改めて実感していたりするわけです。

ただ、私はそれに必要以上に影響されないだけであり、影響されないメリットを享受できる環境作りをしていくだけなのです。

 

一般化しているものが自分にとってどうなのか?

世俗が虚飾に満ち満ちているという主張をした私。

その一例として『酒』を挙げてみる。

 

私は多くの人が大好きな『酒』をやらない。

かつて古き私の親族の中で、タバコ大嫌いな人がいて、タバコを否定しながらも酒は美肌効果があるとして、酒飲みは許容すると自負していたアンポンタンがいた。

それはその人の自由であるが、私は真っ向から彼女の思想に対してアンチに回っている。

 

『酒』はそれを嗜む人間の意識状態を変化させて、バリアを取り除く効果がある。

大多数になれば、所謂、裸の付き合いがしやすくなるということが、酒の魅力の1つとして認識されている。

加えて、ストレス解消の効果もあると思っている。

 

だが、私は『酒』は飲めるけど、飲まないようにしているのには、理由がある。

1つの理由は『酒』というものは、そもそもドラッグであるし、脳に多大なダメージを与えるものだからです。

人が意識的・無意識的に関わらずに必要であるからもっているバリアを取り除くって、どれだけの強力なパワーがあるのさ。

 

法律で違法薬物認定されて、飲酒=罪になったとしても、私は構わないとさえ思っています。

しかし、『酒』が大きな経済効果を世界に与えている娯楽物であることは、否定のしようがないし、社会の一部分はそれで回っていたりもする。

酒造というものは、古代人から脈々と受け継がれてきた伝統でもあるから、これを否定なんか出来ないし歴史を覆すことも出来やしない。

なので、酒好きな人を否定もしないし、嫌いにもならない。

大事なのは私が飲まないことだけであり、過剰に酒を信奉する人ともお付き合いしないということかな。

他にも酒を飲まない理由はあるけど、それはまた別の機会に気が向いたときに書いてみるとする。

 

タイトル回収してみる

I Would If I Could But I Can’t というのは、訳すとできたらやるけど、できないからやらないという意味。

昔から【たった一人の魔道】を読んで下さっている読者様なら、これが『けーご』が大好きなDizzyMizzLizzyの曲名であると知っているでしょう。

何故、今日の記事のタイトルに命名したのかといえば、深い意味はない。

 

ただ、この言葉の意味は、人間の本質をついているわけですよ。

でもね・・・できないからやらないならば、できるようにすればいいじゃんって今の私は思うのですよ。

できたらやるけど、できないからやらないという気持ちというのは、既にその特定の物事に興味関心意識が向いていることの表れ。

ならば、人生は一回きりしかないんだし、出来るようになればいいじゃない?って思うのです。

 

私もこれを読んでくださっているアナタ。

名前も顔も知らない不特定多数の人々、全てに共通しているのは、最初は赤子であったということ。

何も出来ない矮小な実在だったということ。

そんな実在が10年・20年・30年と経っていくと、あら不思議・・・価値ある人間として成長しているわけです。

 

要するに思い込みと取捨選択によって、自分で自分を決めてしまっているということなんです。

 

今のところ、現代人・・・特に日本人は失敗したとしても余程のことがなければ死にはしないし、時間と労力がちょっとロスするだけ。

その後は経験・体験をしている分、プラスにもっていけるわけですから。

 

そんな心の力を大事にして、自分の領域を良いものしていけばいいと私は思っている。

 

7月7日の言霊

宗教なんか信じないし、私の神はキヨちゃんしかありえないと思っているから、言霊という意味はちょっと違うものと考えている。

だけど、その言霊という言葉そのものは好きだから、敢えて使ってみる。

 

幸せを感じればいい。
キミは変幻自在でいい。
完璧主義じゃなくていい。
全知全能じゃ無くてもいい。
他人に認められなくてもいい。
 
試行錯誤を起こして進化を繰り返す。
 
価値の提供=活力の移動をさせるだけ。

この世に絶対的に定義できるものなんか、ありはしない。

大多数が認めるから、許容し支持するって、どんだけ脳死プレイしているのよ?

 

自分の心が全て それだけだぜ?

 

最後まで読んで下さってありがとうございます。

Everything is going well !!  全てはうまくいきます。

では、またのう(´Д°)ノシ

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