私はある時から

 

仕事は何をしているの?

 

と、聞かれると、世捨て人だ。と答えるようにしている。

 

いきなり余談だが、SNSですぐにお仕事は何されているんですか?と聞いてくるヤツは大抵、勧誘、ハメコミ、セールスである。

 

よって、インスピレーション次第では即、ブロックするし、スルーすることが多い(`▽´)凸

 

と、それはさておき・・・

 

私の場合、『仕事』という言葉の定義は、普通の人間とは違う解釈で捉えているからだ。

 

それはさておき、何故、自分を示す言葉を、どこかネガティブな言葉で形容するのかと言えば単純に・・・

 

その言葉が好きだから。

 

だと思っている。

 

同義語としては『世捨て人』は隠者ともいう。

 

意味は

一般社会との関係を絶ち生活する人のこと

なので、当て嵌まらないというわけではない。

 

私は一般的に誰もが飛びつくであろう『嗜好』『流行』『常識』の多くに疑問を感じているからだ。

 

以前は会社勤めしていたけど、今は自分一人で何物にも依存せずに自活しているから、あまり人に影響を受けない環境にいるし。

 

なので、私を示す言葉としては、『世捨て人』『隠者』という言葉があっていると思っているのですよ。

 

まあ、もっと蔑んで悪い言い方をすれば『引きこもり』『ニート(ぶw)になるんでしょうけどね。

 

別に私の事をよく知らない人間から何を思われようと、全く応えないのでいいのですが。

 

『隠者』というのは基本的には『孤独』『孤高』であると言える。

 

人によっては絶対に嫌だと思うでしょうね・・・孤独になるってのは。

 

昔、私も寂しがり屋だったと思うし、とにかく自分を分かってもらいたかったってのはあるかも知れない。

 

何事にも好奇心旺盛な子だったし、ブログやTwitterで何気ないことでも自分のことを発信するのは、おそらくこの名残から。

 

もちろん自分に興味を持ってくれて、配慮を出来て、能動的に歩み寄って来てくれる人と過ごす時間は嬉しいので、そういう繋がりは大事にしている。

 

だが、基本的に私はあまり影響を受けることはない。

 

『偏屈』とか『陰キャ(ぶw)と思われるかも知れないが、昔から人に影響を受けて良かったことが少ないからです。

 

だからこそこうした生き方に待っている大きなものといえば

 

自己責任

 

であったりする。

 

何だかんだ多くの人間が自立しているといい、自立していない人間に対して、兎角、マウントをとりたがる。

 

そういう人間を私は『アンポンタン』『羊』と揶揄することもあるが、基本的にそういう人間は真の意味での『自己責任』などはとっていない。

 

もしも、周りにそういう人間がいると思うのならば、よくよくその人間の話している内容だったり、素行を観察してみると面白い。

 

必ずといっていいほど、『何かのせい』『不平不満』『愚痴』『泣き言』『自分は凄い』ということを吹聴しているからだ。

 

私も昔はそういうところがあったが、いざ『隠者』になった状態で『羊』『アンポンタンをみると、よく分かる。

 

フォローするわけではないが、そういった『アンポンタン』『羊』といった属性の者達も可哀想だと感じることがある。

 

何故ならば、おそらくは誰にも『責任』とか『自立』ということを教えてもらえなかったのだから。

 

そして、常に何かに・・・誰かに流されて生きてきた人間だからだ。

 

私からすれば、何を頑張っても、何をやっても、真に満たされないという自分に疑問を持てないことが不思議なのだが、哲学がないのだから仕方がない。

 

悲しいことに言っても分からないのは仕方がないからね。

 

話を元に戻すと、『隠者』となってみて、思うことは『責任』という言葉の意味と、『自由』という言葉は常にコインの表と裏ということであるということ。

 

そして、『孤独』であるということに裏打ちされた『自由』があるということだ。

 

うん、悪くない。

 

むしろ、こんな幸せがどこにあるのか?と、さえ思っているわけです。

 

こういう生活に幸せを感じれるのは、今までお腹いっぱいになる位に満たされていたからだろう。

 

もしも、例えば私に親兄弟がいなかったとか、イジメられて育ったとか、異性と恋愛経験がないとか、会社は嫌な事ばかりとかだったら、この限りではなかったろう。

 

それら全て満たされた後だから、この生活の良さを自覚出来ているのだろう。

 

だからこそ敢えて『隠者』である自分を堂々と人に表現出来るのだろう。

 

二度と元に戻れない。

 

そして、それこそが私にとって『自立』出来ているという一つの証明に他ならないと感じているのだ。