極上の娯楽から生まれるパワー

今日はちょっとゲームの話でも書いてみますか。

 

特に固有名詞を出すわけでもなく、あくまで心情的なもの。

 

ちと寂しくなったってのが切欠かな・・・まあ、実はあまり言う資格も書く資格もない私なんですけどね。

 

私にとってゲームとは

ハッキリ言って、色々なことを気づかせてくれる極上の娯楽であります。

 

例えば私が推理小説や歴史、経済のことなどが詳しくなったのは、元々はファミコンでプレイしたゲームが切欠。

 

三国志を語ろうと思えば、丸一日ぶっ通しで語れるくらいに知識がついたのも、ファミコンのゲームが切欠。

 

山村美紗や西村京太郎の推理小説をはじめとするコンテンツや、人間の業の深さが起因とするミステリーなどが好きなのも元はと言えばファミコンのゲームから。

 

お金の流れの仕組み、需要と供給の鉄則など経済的な概念は、リネージュを初めとするMMORPGから学んだ。

 

世界観や語彙は違うものの、現代社会で使われるものと置き換えればいいだけの話。

 

ゲームになると、勉強や学びと比べて楽しいから、もっともっと遊びたいという欲求に駆られて行動していく。

 

まあ、良いことづくめですよ。

 

なので私のリアルスタンスでもあるリアルをゲームの様にというのは、そんなゲーマーな幼い頃から培ったマインドから何ですよね。

 

会社の仕事もまるでシューティングゲーム、或いはシミュレーションゲームをやるかのように組み立てていくことによって、楽しくなる。

 

脱サラの切欠になったサイトアフィリエイトなどは、いわば、育成シミュレーションゲームのようなものである。

 

ゲーム脳がマズいとアホな事情通(笑)が警鐘を鳴らしていた時期もあったが、それだけ有害ならば既に規制されていなければならない。

 

だが、現在はどうだ?

 

ハッキリ言って10年前、20年前よりも更にゲームはスマホの爆発的な普及も手伝って、より身近なものになっており完全に文化といってもいいくらいだ。

 

なので私からすればゲームが下らない。とか時間の無駄。と、言っている人間は老害』『情弱』『無知な人間の何者でもないとさえ感じていたりする。

 

まあ、問題なのは遊び方にあると言えるかもしれないが、敢えてそれはココでは語らない。

 

本来はそんなことを言いたい記事ではないから。

 

終わりがある世界

今まで散々、ブログ上で出てきている私が生まれてきて一番、ハマったと言えるリネージュがどうやら危ないらしい。

 

危ないというのは、サービス終了ということであり、遊びたくても遊べなくなるということになる。

 

古き友が調査したところによると、既にリネージュ内の全人口は2000人を切っているようであり、一部の廃課金者によって支えられているのが現状のようだ。

 

良く考えれば1998年に日本でサービスを開始したのだから、20年以上も続くなんて奇跡に近いといってもいいから、良くやったと褒めなければならないのかも知れない。

 

そして正直、私はこんなことを書ける資格はない。

 

何故ならば私は2012年3月に辞めており、以降はビタ一文もリネージュに関する投げ銭をしていないし、それに関する別の活動も全くしていないからだ。

 

だが、私の多くの時間を虜にして、多くのことを学ばせて気づかせてくれて、良き思い出を作ってくれた仮想空間が無くなる可能性が高まったという事実は無視できなかったのだ。

 

だからといってどうすることも出来ないわけだが・・・。

 

それに付随して、それらに関する魅力的なコンテンツ提供者たち(ブロガーなど)も、いよいよ消えてなくなるということも目に付くようになった。

 

リネージュに限ったことではなく、別のゲームやゲームではなくコミュニティやメディアなども無くなっていくという状態は少々、寂しい。

 

しょうがないの一言しか言えないのだが、やっぱり寂しいよね。

 

無くなっていくものは本当にしょうがないとして諦めていくしかない。

 

そこに囚われていては何も進まないから、それを踏まえた上で自分はどうしていくのがいいのかが求められると思っている。

 

しかし、ゲーム好きな自分が一番、そんな極上の娯楽から学んだものは何なのかと言えば・・・。

 

哲学ですよ。

 

答えは考える力そのもの

哲学というのは広い意味を持つが、ここではその本質を定義する。

 

答えは自分で考えるということ。

 

ハイデガーを勉強しています・・・とか、ニーチェが好きです・・・とか、道元や九鬼周造を学んでいますというのは、哲学者を研究しているだけであり、哲学ではない。

 

私はそう思っているし、力強く言いたい。

 

何をどう言ってもハイデガーの時代と、私たちが生きている時代は違うのだから、完コピしても仕方が無いのだ。

 

未来のことだったり、現実に起きていることなどに対して、誰の力も出来るだけ頼らずに自分一人で切り拓いていく為に考える力。

 

これが私は哲学であると信じているし、断言出来るのだ。

 

実はそんな自分で考える力をくれたものは、何を隠そう私はゲームだったりするのである。

 

何故、ドラゴンクエストをやっていて、現実に活きてくるのか?とか、ファイナルファンタジーから一体、何を学べるのか?とかを語るには、この記事だけでは足りない。

 

具体的に論理立てることは出来るが、簡単に言えば規模や世界が違うだけで、それらに使っているコストは不変のリソースだからだ。

 

まあ、それはおいておこう。

 

現代において最も価値あるゲームとは?

当然、例えばリネージュをずっとやっていて経済的に幸せになれるのか?と言えば、否である。

 

私が今、ハマっている幻獣契約クリプトラクトをずっとやっていれば、経済的にも成功するのか?といえば、これも否である。

 

物理的にはマイナスに向かっていくが、それだけではないのだ。

 

それに向き合っている自分の心情や意欲を俯瞰してみることが出来るならば、それを最も価値あるゲームに応用することは可能である。

 

既に答えは前述しているわけだが、最も価値あるゲームというのは『マネーゲーム』であるのだ。

 

何故ならば、何をどういっても現代人は生きる為に金は必要なものであるからだ。

 

ならば、それをどう楽しく効率的に数字を獲得するかが、真の価値あるゲームと言っても過言ではないだろう。

 

当然ね・・・マネーゲームに固執する余り、人を金でしか見れない銭ゲバになってはみっともないし、気持ち悪い輩と同じになる。

 

お金に関しては、突き詰めれば突き詰めるほどに自分の心との向き合いになっていくのだが、これはここでは書かない。

 

楽しいことがマネーゲームに直結する様な仕組みを創り出して具現化する。

 

この根本の源というのは、自分で考える力なのですよ。

 

そしてそれこそが求める自己の自由に繋がるということを、強く言いたい。

 

自由になったら、その後はどうするの?って感じかも知れないが、それは貴方の自由に使いなさいってこと(笑)

 

実際には自由というものは、皆が求める反面、実は難しい哲学でもあったりするのですが、それはまた別の話。

 

 

最後まで読んでくれてありがとう。

 

見つけてくれて、感謝ですよん(^_^)

 

では、まったね~(´Д°)ノシ

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