相変わらず私は楽に屈託なく過ごしている。

最近はキーボードを打ってばっかりの生活ではありますが、それもこれも自分で選択したことなので楽しくやっています。

何故、それが可能なのかを少々、書いてみます。

Sponsored Link

自由の条件は整っているのに

情報化社会になり事実上、空間が無になった現代において、生きる為に必要な様々な情報が簡単に手に入ることが可能となった。

それまでは誰かに教えを乞いて、理不尽な扱いを受けながらも、情報収集をしなければ知ることが出来なかったことが、誰の力も借りることなく手に入る。

だけど、それだけでは自由を手に入れることは出来なかったと私は感じています。

何故ならば本来、人と言うのは『寂しさ』というものを感じやすい。

それが高じると孤独というものが、マイナスに働いて自己重要感を満たすことが出来なくなり、最悪は虚無感に苛まれてしまうからです。

ですが、孤独であるからこそ、自由気ままに生きれるということを断じて忘れてはならない。

現在は人に影響を受けることの恩恵よりも、残念ながら悪影響を受けることの方が多いからです。

 

本質はネガティブなもの

何故、悪影響が多いのかと言えば、特に日本に住んでいる我々は充分に満たされているからと言えるでしょう。

既に当たり前にあるものに感謝することを忘れて、不足感という刺激の強いものに意識を向けてしまっている為に、不平不満』『愚痴』『泣き言』『誹謗中傷というネガティブなものを自ら生み出して、吐きだす傾向が強いからです。

社会人の大半の悩みは『人間関係』であるということから見ても、容易にそれは判別が出来ることである。

人間関係に悩むということは、本来の目的である『自己重要感を満たす』と『自身の幸せ』の達成を忘れて、他人の評価や評判などを気にしすぎているからこそ起きるもの。

それは即ち他人に何かを依存してしまっている自身の心の在り方の問題であるわけです。

他人も自己の幸せを考えて生きているのだから、その存在に依存しても自分を幸せになどしてくれないのです。

が、ここに『寂しい』という感情が入り込むことによって、不必要に人を求めてしまうというものが起きるのです。

やることなんか限られている

人が幸せになる為には、現代人においては理屈にするとすごく簡単です。

・収入源があること。

・自分が楽しいと感じることをする。

・法律を破らないこと。

たった三つだけです。

収入源が無ければ、どんなに奇麗事を言っても、時間の経過が自らの敵になるわけで、そんな状況じゃ何かをまともに続けることも出来なくなるし、周りの人間を不幸にします。

楽しいことが出来なければ、前述したようにネガティブな感情に支配されて、これも他人を間接的に言葉によって不幸に導く要因となりえます。

法律を破ったら、いずれ自由が無くなり、それどころか様々な支障をきたすことになるのは間違いない。

この三つをしていくことの、どこに必要以上に他人に依存しなければならない箇所があるのかといえば、全くありません。

 

頭の中で思い描いていることが

自分の頭の中で思い描いていることは、時間と供に必ず一致していきます。

ネガティブなことばかり考えているならば、それを感じる事柄が目につきやすくなっていきます。

逆にポジティブなことを考えているならば、そういったことに繋がる事柄に気づきやすくなってくる。

これはあくまで自分だけの中で起きていることなので、他人の影響を受けることはないセルフコントロールの一つ。

よって、他人がどう思っているのか?などは関係なく、自分自身が自分の人生を創っていくという気持ちと覚悟があれば、何も怖いことはありません。

人に直接的に依存しなければ、自分は生きていけないという環境が既にあるのならば、根本から変えない限りは、いくら頑張っても幸せを感じることは出来ないと私は思っています。

そして、自由の代償と言うのは自己責任と孤独ということであり、それを受け容れることで完全なる自由が約束されていると言えるのです。

 


自分で自分を縛り付けていることを自覚できなければ、自由になることは出来ない。 それを与えてくれるのは他人ではない。

最後まで読んでくださって

ありがとうございます。

感謝しております。

Everything is going well!!

全てはうまく行きます。

Sponsored Link