自由』という言葉が幼い頃から大きく頭の中にあった私。

 

現在でも学んでいる最中であると自覚していますが、この言葉をテーマに書きつづっていくことにしましょう。

 

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一体、いつどこで知ったのか?

自由という言葉が『いつ、どこで、誰から』教えてもらったのは、定かではない。

 

人は誰でも白紙のまっさらな状態で、現実世界に誕生している。

 

だから、現在、自分の頭の中にある情報は必ず誰かに教わったもの、刷り込まれたものである。

 

私は幼少の頃から両親が良く言えば放任主義、悪く言えば放置主義だったので、とにかく変わった子供であったらしい。

 

断片的にしか思い出すことは叶いませんが、物凄く物覚えが良く、口達者だったらしい。

 

反面、近所の同世代の子供とトラブルを起こしがちで、100%私が悪いときもあったという。

 

あまり良い記憶はないけど、唯一、自慢出来ることといえば、学校などで隣に座った女の子は、必ずに私を好きになってくれたことくらいか(笑)

 

しかし、今でも鮮明に記憶しているのは、大人に憧れていたということ。

 

早く大人になりたい。

 

と感じており、自分が子供であることに凄く疑問を感じていたのはよく覚えている。

 

好きになる人は歳上ばかり

男でも女でも自分が強く影響されるのは、決まってだいぶ歳の離れた人ばかりだった。

 

当時の自分の心情はよく記憶していないが、おそらくはその時の自分に持っていない物を全部、その人たちは持っている様に思い込んでいたからだろう。

 

抽象度の低い世俗的な何かを好きになる時は兄の影響。

 

性に目覚めて初めてSEXをした相手も歳上の女性。

 

初めて自分の矮小だけど守りたいと感じる価値観をズタズタに切り裂いたのも歳上の人間。

 

自分が本当に守られてて、愛されていると感じさせてくれたのは60歳離れた祖母。

 

そんなわけで、今でもどこか歳上の人と、何らかしらの意志の疎通をするときには、安堵感を覚えるのはこの為なのかも知れない。


自由に目覚める時

しかし、他人に影響されて関係性が築かれると、困ることが多くなると感じ出す様になったのは小学生の頃から。

 

自分も寂しいと感じるから、友達とあって楽しむわけだが、時には自分がやりたくないことをやらなければならなかったからだ。

 

やりたくないことをやるということは、新しい発見があるということでもあるので、これは否定はしない。

 

しかし、着地点が分かりきっていることに、こだわりを持ち引き込もうとする友人たちや、歳上の近しき関係の人の行動に自分を合わせるのは辛かった。

 

それを断れば陰口を叩かれたりとか、場合によっては無理矢理、やらせようとしたり、そうなるように罠を作られたりする。

 

その結果、自分は物凄い嫌な気分を味わうことになり、孤独感に苛まれるから、無理をしていた時もあったりする。

 

じゃあ、自分がそれによって何らかしらの被害を被った時に、助けてくれたことはあったかといえば少なすぎる。

 

幼少の頃は自分から進んで貧欲に何かをしていくタイプの子供であった。

 

でも、いつしか周りのアクションによって自分の行動を決めるという受け身な子供になっていた。

 

実はそれが自分で何も考えなくていいから楽ということにも、当時から気づいていた。

 

だが、それは後々、自分を苦しめることになるということも認めたくはなかったが、気づきはじめていた。

 

こんな思いをするくらいなら、周りはいないほうがいい。

俺、何もしてねえのに、何でこんなことに・・・?

 

お互い様の部分もあったりすることも認める。

 

しかし、心の奥底の疑問符を払拭することが出来なかった私が出した結論は

 

一人

 

になるということであった。

 

実は今が非常に恵まれていると悟ること

実は一人になるということを意識した大きな原因の一つには、生涯、忘れえない出来事もあったりした。

 

それから10年以上、トラウマになっていたことでもあったりするけど、それは思い出話になってしまうので別の機会に。

 

結局、一人でやっていくってことが難しく、多大に精神的にも経済的にも負担をかけた人もいたりする。

 

今、思うとそれは私の甘えであったと感じるわけで、物事の考え方そのものが誤っていたと思っている。

 

紆余曲折をえて、本当に一人で生きていけると確信を得たのは、それからだいぶ後になってからのこと。

 

正直なところ、それは時代の流れも味方してくれたといっても過言ではない。

 

一人になることを意識してから、過去に2回ほど非常に生きていくのが辛いと感じたことがあった。

 

心底、自分自身がドツボにいる・・・これ以上、酷くなることはないだろう・・・という位に落ち込んだことがある。

 

その後、私は思った。

 

ここまで落っこちても、まだ生きていける。

 

これ以上、酷くなることないと思うのなら、とりあえず我武者羅に何かをやってみようという気に。

 

そもそも、外国の劣悪な環境と比べれば、日本って恐ろしく恵まれた場所じゃない?と腑に落とすことが出来た。

 

物も人も奉仕も有り余っているから、充分、生きていくことに対して満たされている。

 

だから、かえって一人になりやすいそんな環境であったということに気づいた。

 

ならば、自由というのは、自分との心との向き合い方が最初にあって、物事をどう見ていき行動していくか。

 

実は凄く単純であったということだ。

 

劇的に自分の人生が変わったと感じるのは、もうちょっと後になってから。

 

とにかく言えることは自由の道は、意外にも険しい。

 

自由を得る為には、一旦、不自由になってしまうことを受け容れなければならない。

 

自己矛盾とどうしても向き合わなければならないと思っています。

 

だけど、一旦、自由である環境を作ってしまったら、おそらくは多くの人間たちが抱える負担などから逸脱できる。

 

自分が魔道と思って突き進んでいた道というのは、実はもっとも光に満ち溢れていた場所への近道であった。

 

そんな確信があったりしています。

 


自由とは実は非常に重いということを受け容れなければいけないが、一旦、それが腑に落ちれば無尽蔵に恩恵を受けれる自分に慣れる。

 

最後まで読んでくださって

ありがとうございます。

 

感謝しております。

 

Everything is going well!!

 

全てはうまく行きます。

 

それでは、またね^^

 

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