タイトルは少々、過激ですが、過去の自分にも言えること。
そして、『そんなことは百も承知だよ!』と突っ込まれる様なネタです。
だけど、何度も今まで散々繰り返していますが、敢えて、今一度、デカイ声で・・・
(厳密では声ではなく、フォントなのですが・・・笑)
『知っていても、出来なければ意味がない。』
ので・・・。
そして、所々、辛辣な言い回しが多数、目立ちますが、それを一つの情報として受け容れるか、受け容れないかは、個人の自由というコトで。
私が個人的に
”絶対に付き合いたくないヤツ”
として、真っ先に挙げるタイプが
『自分を大事にしていない』
人です。
実はこれは非常に深い意味がこもっています。
自分を大事にしていないというのは、場合によっては語弊があるかも知れない。
傷つき疲れ果てながら、他人か『マゾちゃうん?』と笑われても、一生懸命、一つの物事に打ち込んでいる人間。
こういう人は自分を大事にしていないというわけではなく、非常に美しいと私は思うのですよ。。
むしろ、それを揶揄して勝った気持ちになっていたり、優位性を保っていると錯覚しているアンポンタンの方を私は謹んで蔑みたいですね。
自分を大事にしていない人間というのは、具体的に言うと
・自分を支えてくれている筈のリソースに感謝していないヤツ。
・不平不満・愚痴・泣き言を振りまいていることが良いと思っている愚か者。
・やたら他人のことを意識して、自己優位性を保とうとしたり、劣等感に苛まれているオツムの弱いヤツ。
こんな感じでしょうかね。
でも、『けーご』もそんな人間の端くれだったことは認めますよ。
でも、それって本当の自分からすれば、みっともねえなって思うこともあったし、そもそも自分を大事にしていないのだから、物事がうまくいくわけないのだ。
うまくいくわけがないから、どんどん自分に自信を無くしていくし、他人と比べて更に全てが嫌になるという負のスパイラルに陥る。
分かりやすく、より具体的に書いてみる。
自分を支えてくれている筈のリソースというのは、『人・物・お金・情報・時間・気力』の六つ。
人をリソースと呼ぶのは、いささか勘違いを生むかも知れないが敢えて。
自分のコトを好きでいてくれる人を大事に知るからこそ、その人と円満な関係が継続していくというもの。
これはお互いが共通している感覚が無ければ、継続することは容易くない。
現代は非常に便利な物に満ち溢れている。
家電・情報伝達ツール(スマホやPCなど)・車・バイクなどなど。
それらを手に入れて喜んで、メンテナンスなどをしていなければ、すぐにぶっ壊れる。
ぶっ壊れたら、また買えばいいのだが、限度がある。
それら物を大事にするのも感謝の気持ちがあるからだ。
お金は魔法の道具である。
そのお金は稼ぐことより、使うことの方が難しいのは、少し学んだ人なら誰でも分かるだろう。
魔法の道具を不必要なモノに無尽蔵に使えば、たちどころに意識せずとも周りに飛び火させることになる。
なので、この魔法の道具にも感謝の念を向ける必要があるのだ。
もちろん私はとある芸能人の方のように
『お金ちゃん、大好き♡(#^.^#)』
『お金ちゃん、ありがとう♡(#^.^#)』
と、ぶつくさと呟いたりはしない。
それはそれで見ていて、キモイしみっともないと思うからだ。
でも、その芸能人が何故、それを呟くのかの気持ちは痛いほどよく分かるよ?
実際にこの芸能人、特定の経済活動においては非常に腕が立つ人です。
情報というのも、実際には感謝をする必要があったりする。
有益な情報をもたらしてくれたり、気持ちをポジティブにしてくれる情報をもたらす源は、やはり大事にすることが有意義。
これは大体は他人になってきたりもするのだが、どちらにせよ感謝の気持ちがあるからこそ、大事にしようと心掛けて行動に移すというものだ。
時間と気力は密接な繋がりがある。
くだらないことに時間を使うのであれば、気力を回復させる為に寝ている方が自分を大事にしていると言える。
余計なことしなくなるし、実は効率的だったりするのだ。
基本的に自分を大事にするというのは、日頃からの心掛けをしっかり行動に移せるかどうか?
もちろん、以前の記事にも書いたように、人にはそれぞれマスクデータや律が確実にある。
それによってアプローチの手段だったり、法則が違うので明確なことが言えないのが口惜しかったりもする。
だが、共通しているのは『感謝』の気持ちである。
自分に何らかしらの好意を持ってくれている人間には、出来る限りの配慮をする。
自分の生活を便利にさせてくれている『物』を大事に使い、場合によってはコストをかける。
自分にあらゆる恩恵を簡単に与えてくれる道具である『金』も実益が伴うことに使っていく。
自分の行動理念やゴールを記してくれる知識や経験則などの『情報』も、しっかりと取捨選択をして取り込んでいく。
時間は全ての源であり、これを大事にしていない人間は言わずもがな。
そして、そんな全てを大事にして、行動を生み出す自らの気力。
前述した付き合いたくないヤツを再度挙げてみる。
自分を支えてくれている筈のリソースを大事にしていないヤツは、総じて傲慢であり要するにテメエが楽することとか、テメエだけが都合よくしていたいという卑しい根性に満ちている。
こういう奴は大抵は自爆していくし、また近くにいたら自分自身も腐っていくことは明白。
何故ならば人は少なからず近くにいる者の影響を受けるからだ。
不平不満・愚痴・泣き言を良いと思っている奴は、基本的には傷の舐め合いをして短期的にスカっとしたい者。
しかし、これは物事の根本の解決が出来るわけでもなく、周りも似たような人物が集まって来てしまい、どんどん膨張していく。
そしてそれがさも当たり前になっていき、正反対の人間を卑下するようになっていく。
そしてそれが差別を生み出し、周りに悪影響ばかりを与えるポンコツになっていくのだよ。
ポンコツになったら頼るのは、自分がマウントとれる人間であり、その人を100%不幸にするということをする存在になり下がるわけですよ。
まあ、そうなるのも人の自由ですけど、根本の解決も出来ない『付き合っちゃいけないヤツ』になったら、奈落にまっしぐらですわな。
やたら他人のことを意識して、自己優位性を保とうとしたり、劣等感に苛まれているオツムの弱いヤツについて。
他人のことを意識出来るとか、自己優位性を保つという頭の使い方は全てが間違っているとは言わない。
が、それにどれだけの意味があるのかをまず疑って考える方が先決だ。
他人と自分は間違いなく違うし、行動理念や幸せの在り方も違うはず。
自己優位性を保つことに関しても、多くの場合はその場凌ぎだったり、その場だけ良い思いをしたいという願望から。
もっと人生は長期的であり、短期的な快楽を求めてばかりでは、うまくいくものもうまくいかない。
他人と比べて劣等感に苛まれている奴は、とにかくそんな自分から逃げる為にあらゆることを他人に投げかけてくるようになる。
まるでそれは💩を投げられているかのように、投げられた方はこれほどウザったいものはないわけですよ。
そして、投げかけてくるヤツも、何度も何度もその度に劣等感を反復しているから、自分でさも学習するかのように心に焼き付くようになる。
そして、それら全てはほぼ9割型自分を良くすることにはならない。
自分でストレスを生み出しているから、おそらくは病気にかかりやすくもなるし、悪いことだらけ(´Д°)
何度も言うが、それらをすることが根本の解決にならないからだ。
だから、言葉はキツイけど、『オツムが弱い』って思うわけです。
人間は必ず一つくらいはいいところがあるし、無価値な人間はいない。
他人と比べたりすることには、意味が無いんですね。
例えば金持ち自慢してるヤツも見かけるが、ハッキリ言って『おたくはバフェットのジジイより凄いの?』って思うわけですよ。
まあ、リスト回収を目論んでいるだけなんだけどね(ぶぶw
『俺は女にフラれたことねーから。そんな俺がおまえを好きなんだよ? すごいんだよ?おまえ。』
『アタシの虜にならないオトコはいない。アタシに気に入られたんだから、アンタを変えてあげるよ?』
と、うそぶいているやつも、どこの世界にも一人はいるだろう。
ハッキリ言って、ホラ吹きだ。
もしも、それが本当であるならば、今頃はそいつらが意識を向けている世界の征服が完了している筈であり、そんなことを拭いて回る必要性が微塵も無いからだ( ̄▽ ̄)
挙げればキリがないが、この位にして、こんな奴らとは逆のことをするだけでうまくいく。
それは日々、些細な物事への言葉掛けと心構えの中に『感謝』を取り込む。
たったこれだけです。
感謝が人を強くしていくし、自分自身にあらゆる恩恵をもたらしてくれる。
感謝する必要が無い奴もいるけど、それは感謝そのものを忘れていたりする奴。
全てが当たり前だと思っている傲慢な奴。
時間と供に必ずそいつは調整されて、自分が思っていることとは反対方向に向かう。
それは自分を大事にしていないのと同義語。
簡単。
誰にでもできる。
そんなちょっと過激で素の私が出てしまっている駄文な論理を2020年1月最後の記事としたいと思います。
最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
感謝しています。
Everything is going well!!
全てはうまくいきますよ~(´Д°)ノシ
では、また。