在り続ければ誰かが見つける世界

2018年8月23日の改作分。

今は再びSNSで色々、遊んでいたりすることもあって思い出した記事。

 

——-ここから——-

 

現実では全く会ったことも喋ったこともなく、ネットを介してでも意志の疎通を交わしたことが無い人。

しかし、ある人が目に留まって、その人が発信しているTwitterのタイムライン二年分を一気に読んでしまった私。

こうしたことから思ったことを今日は書いてみます。

切欠は些細なことから

私は二ヶ月前からある特定のジャンルに絞ったWebサイトを作成しています。

そのネタ元の制作に関わっている一人の人物なんですが、この人そのものは有名人でもなんでもない一般人。

情報を漁っていると、その人がTwitterをしていることが分かって、閲覧してみる。

その人がやっていることや、嗜好などは全く興味がないことばかり。

だが、時折、その時、その刹那、思っていたであろう気持ちが投稿されている。

そこに焦点を絞って読んでいると、その人間がどういう性格や信念があるのかが、感じることが出来るというわけだ。

 

一生懸命な人は美しい

文章には、その人の本当の姿が出てしまう。

だから、ズバリ、何を本当に望んでいるのかが分かった。

現在のその人はハッキリ言って効率が悪い生き方をしていると思う。

そして、おそらくは、その生き方では望みが叶うことはないだろう。

何故ならば、その人の現在、やっていることや生き方では、望みを叶える可能性が無いからだ。

だけど、私は何も言えないし、言うつもりもない。

何故ならば、その人が一生懸命、生きているのが痛い位によく分かってしまったから。

属性も違うし、世代も違うが、確実に未来に目を向けて、一生懸命、自分の足で歩き続けている人間であることが分かる。

例え、お小遣いに苦労していても、パッとしていなくても、無愛想であったとしても、そんな人間は、私には美しく見えてしまう。

 

在り続ければ誰かが見つける

しかし、そんな人をネットを介して知った私が思うことは、あることへの再確認である。

在り続けていれば、誰かが自分を見つけてくれる。

と、いうこと。

今回の話で言うのであれば、私が見つけたその人というのは、二年前からTwitterのみで自分の思いや嗜好などを発信している。

もしも、その人が、どこかで情報発信を止めていたならば、私がその人の内面や信念など知ることは出来なかったであろう。

やはりネットを介して、何かをやり続けているということは、重要であると強く感じている。

余談だが、私も最近、過去に作ったWebサイトを買いたいという企業が出てきて、現在は商談の最中であったりする。

それも、もう育てる気持ちが無くなってしまったWebサイトを生み出した私が壊さないでおいたから、話が向こうから舞い込んできたというもの。

在り続けていたから』こそ、それを見つけた人が価値になると感じてくれて、オファーをしてきてくれたことに相違ない。

 

見守っている自分と誰か

話を元に戻す。

私が見つけたその人に対して、何かを私が言うこともないだろう。

私が出来ることは、ただ見守っていることと、心の中で応援することのみ。

今は私はただ、冷たいまま見つめている。

その人がピュアなだけでは望みを叶えることが出来ないと、自覚するまで。

いずれ私が出来ることと、その人が出来ることが合致するものを見つけることが出来たならば、私から何らかしらのオファーをかけるかも知れないが。

 

今日、私が言いたかったことは、やはり継続というものは重要なことであるし、空間を無にしているインターネットの恩恵は凄まじいということ。

もしかしたら、私にもアナタにも、誰かが知らないうちに見守ってくれているのかも知れないですね。

 


見ている人は見ているとは社会人であれば、誰もが一度は聞いた事がある文言。 現在はそれはリアルだけにあらず。

 

——-ここまで——-

ちなみにこの当時、私がその生き様や一生懸命さが美しいと思った人は、今、何をしているのかは分からない。

 

そして、特に気になることも無く、その人のTwitterなどを見てみようという気も無かったりする。

 

でも、相変わらず一生懸命な人は男女問わず大好きだし、美しいと思う気持ちがあるのは一緒。

 

そういや、当時は別のWebサイト買い取りたいって仲介業者と話してたっけ。

 

ちなみに結局、折り合いがつかなくって、まだ私の所有物でありますが(笑)

 

改めて、この記事を読んで思うことは、とにかく地道でもいいので、自分自身が何か分かって欲しいと思うのならば、0.1%のエネルギーだけでもいいから行動していくってこと。

 

ここでいう行動とは、自らが敢えて他人などの外部に向けて、問いかけに行ったり、表現を行うこと。

 

ここで間違ってはいけないのは、だからといって遜る必要も無い。

 

更に付け加えるならば、能動的に行動したのはいいけど、勘違いしてマウントをとるようなことをしてはいけないということ。

 

・・・・・

 

今、これを書いていて思い出したことがあるのだが、それは明日のお題にしようか。

 

まあ、単純に向こうから来た勘違い?もしくは頭が膿んでる人の話というラジカルな内容になるけど(@_@)

 

と、話が逸れそうになった(;^ω^)

 

何にせよタイムリーで無くてもさ・・・例えば自分の伝えたい事が2年後に誰かが分かってくれたなら、それはそれで嬉しいよね。

 

むしろそちらの方が凄く心に響くものがある様な気がするんですけど。

 

その為には自分が出したものはなるべく消さない、壊さないという意志の力が要求されますが・・・。

 

時としては先に進む為に、過去の遺物や不必要なものは、消し去ってぶち壊した方がいいこともありますが。