夕日さえ血の色に見える絶望的な光景

今回は画像から嫌悪感を及ぼすでしょうが、敢えて書いてみたいと思う。

あるゲームのシナリオを絡めて、自分のある気持ちというものを書いてみますかね。

結局のところ、望みの先に待っているものは『達成感』なのか?

『絶望感』しかないのか?

そんなお話。

 

ある秀逸なゲームがあってね・・・

『けーご』が18歳くらいにハマったゲームに、SFC版【デア・ラングリッサー】というのがある。

このゲームはSRPGであり、シナリオが分岐していくということで、様々な終わり方がプレイヤーの選択によってあるというのが特徴だった。

ゲームの内容を具体的に解説はしないとして、簡単に言えば以下の通り。

 

所謂、善と言われる人たちと供に世界の平和を実現させるルート。(ルシリスの思想)

強大な軍事力を持つ組織に入って、世界を統一するというルート。(ベルンハルトの思想)

異質な力を持つ闇の勢力に入って世界の理を変えるルート。(ボーゼルの思想)

主人公そのものが覇道を突き進むルート。(エルウィンの思想)

 

大きく分けて4つ。

 

登場ユニット、それぞれにドラマがあったり個性があったりして魅力的。

だけど、立場が変われば見方も変わるわけであり、敵が実はいい奴だったり、善人と感じる存在が実は偏っていたりとかが進むルートによって変わるわけで。

 

うん・・・自分の立ち位置によって、思想が変わりそれに伴って行動の仕方も変わっていく。

これはゲームの話だけど、リアルに応用するのであれば、正しく縁起ということにも通じるわけです。

 

何はともあれ、このゲームからは割と多くのものを学んだ気がするし、その後の思想も変わってしまったともいえる。

 

実は結局は自分のことばかり・・・

世界の平和を望んだりなんだりする勢力であり、美しく穏やかな印象があっても、ゲーム中ではやはり戦いがある。

戦いがあるということは、人を傷つけることに他ならない。

所謂、正義という名目の集団に属していたとしても、結局はそれは宗教そのものであるわけで、一つの価値観を押し付けて布教するという行為そのものでしかない。

 

強大な軍事力で世界を統制していき、戦いの無い世界を創ろうとする勢力。

力でねじ伏せたならば、いずれは力で取って代わられるわけだけど、これはかつて信長がやっていたことですね。

信長の末路は言わずもがなであるわけで、特に言うことも無い。

結局はどんな大義名分があったにせよ、戦いの無い世の中を創ることは出来やしなかった。

 

ゲーム上では人間とは違う、どちらかといえば『神』に近しき異質な存在が影響力を持つ『闇』。

結局はそれまでの基礎である理を根本から変えてしまうということであり、主人公たちは単なる駒の立場でしか生きれなくなるという結末。

 

18歳当時の私からすれば、これらのどのシナリオもピンとくることはなかった。

あまり犠牲者も出ることがない一番、上の所謂・善人主導のシナリオというのも、どこか『さわやか3組(ぶw)』チックで気持ち悪い。

犠牲者が出て欲しいということではないが、結局はそれって皆が皆、洗脳されて他人に依存するという根底がある気がしてならない。

 

私がこのデアラングリッサーで好きなシナリオは主人公が覇道を突き進むルート。

 

自分自身が目立ちたいとか、承認欲求を満たしたいということなどではなく、実はこのルートだと自分が全てを背負うということでもある。

善人たちは善人の思想を押し付けようとする。

帝国は帝国を維持していくための政治で世界を掌握しようとする。

闇はトップの存在の為に世界の全てをモノにするという考え。

 

結局、犠牲になるのは弱い者達だけ。

 

だからこそ、主人公が人、魔物、世界に生きる全ての存在が暮らしていける世界を創っていく目的で覇道を突き進むわけです。

実はこれが私、このゲームでは一番、綺麗な終わり方だと思っています。

 

結局のところ、それが実現するということは不可能なわけですけど、物語的にみて一番、しっくりくるわけです。

 

そんな主人公が背負うルートですが、実はこれある超絶バッドエンドも選択によっては出現するわけです。

それは何なのか?

 

一歩間違うと絶望しかないエンディング

そのバッドエンドとは、自分自身が強くなりすぎたが故に、周りに誰もいなくなってしまうということ。

自分が弱い時からずっと一緒に戦ってきた親友までもが、自分を助ける為にいなくなってしまうという追い打ちがあるわけで。

 

味方もいない、敵もいない、愛する人も死んだ、世界にいるのは自分だけ。

自分に残っているものは、誰にも必要とされない、誰にも気づいてもらえない圧倒的な強さのみ。

 

これは即ち絶望以外のなにものでもないシナリオというのが、ゲームには含まれていたりするわけです。

 

デア・ラングリッサーは良く出来たゲームなのですが、非常に深いシナリオが秀逸。

とりあえずゲームの話はおいておいて、このゲームから学んだことというのがあるので、それを最後に記して行きましょう。

 

本当の自分の幸せとは何なのか?

それらは全て自分の心から発する『選択』によって決まるわけです。

 

選択した結果がどうなるかは分からない。

何故ならば自分以外の他人にも自我があって、不確定要素に満ち溢れているからです。

それと折り合いをつけて、未来が決まっていくのが答えとなる。

 

だからこそ、未来を予測することは出来ても、それをピタリと当てることなどは不可能なわけです。

 

それを踏まえた上で、自分が制御できるところは自分が全てコントロールしていくことが望ましい。

 

許容できることは許容して受け容れて、ダメだと感じるものは切り捨てる気持ち。

そもそも、自分の世界を創っていくのは誰なのか?と言えば、自分自身以外にありえないわけです。

 

自分自身が強くなりすぎたが故に、疑心暗鬼に苛まれてしまうこともあれば、だからこそ更なる障害が出てくるということもある。

それって結局は自分以外の他人の影響がそうさせるわけなので、それを踏まえた上での行動が要求されていくわけです。

 

願わくば今回のブログコンテンツの画像の様な状態にならないようにしたいものです。

死屍累々・・・自分の周りが全部、死んだ状態というのは、何をどう言ってもバッドシナリオであるわけ。

 

これはリアルで言うのであれば、理想を追い求めるあまり、自分自身を支えてくれる人間も大事にしてこなかったことの現れ。

 

多くの人間関係などはいらないけど、自分を支えてくれる人だったり、自分を好きな人を許容できる範囲で大事に・・・。

このシンプルな考え方だけで、おそらくは最悪のバッドシナリオを回避できると断言できます。

 

バッドシナリオを回避した先に待っているものは、何物にも変え難い『達成感』が待っているということも断言出来ます。

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