決めて絶つことが扉の鍵

一か月近く更新していませんでしたが、相変わらず淡々と平和な日々を過ごしています。

 

若干、心境の変化なども相まっていますが、特に劇的に何かを変えようとは思っていない私。

 

と、いうのも、まだその時期ではないと感じているから。

 

気が向いたので、こちらを更新してみますか。

 

まずは器の話

今まで何度かこんなことを言う人と会った。

 

あの人は器が大きいね~。

あの野郎は器が小っちゃいな!

とか。

 

これってそもそも使い方が違うと思っている。

 

または自分と合わない人を卑下する為の文句として言う者も多い。

 

この場合、こういったことを口にする人が言いたいことは許容範囲の問題であって、器という言い方は間違いであると思っている。

 

人間の器というのは、簡単に言えば自由に使える時間のことと思うと分かりやすい。

 

私は口癖のように言っている文言の中にこんなのがある。

 

一日24時間、一年365日という制限を誰も超えることは出来ない。

 

厳密に言うと超えることは、ある意味、可能であったりするのだが、今回はその話ではない。

 

多くの人たちがやってしまうことは、この制限があるにも関わらずに、あらゆることを足そうとすることである。

 

その結果、どれ一つとして続くことなく、いつしかそれに飽きて結局、時間とお金の無駄であったという事を繰り返す。

 

私も若い時はこんなことの繰り返しであった。

 

これが決して無駄であったとは思わないが、結局のところ、その原因というのはあれも、これもという強欲が招く自分の心にあると思われる。

 

そして、それは自分の器というものを自分自身で分かっていないことを証明しているとも言えるだろう。

 

器に新しい何かをいれたいなら

器の中に入る量は限界があるのは言うまでもない。

 

新しい物を入れたいのならば、古い物や要らない物を器の外に出さなければならないのに、詰め込もうとすると底が抜けたりする。

 

人間の器というのも、物理的に証明されていることと同じといってもいい。

 

つまり過去記事でも幾度となく書いている話でもあるのだが、とにかく捨てるということを習慣づけなければならない。

 

しかし強欲な人間ほど、捨てるということが出来ずに、執着してしまうので、結局、その後の未来が変わることはなかったりする。

 

むしろ悪くなったりすることの方が多い。

 

物理的に言えば、物を捨てることが出来なければ、段々と自分のスペースを圧迫していく。

 

目に付くものが多くなり、意識が散漫となりやすく、いずれは自分が身動きが取れなくなる。

 

人の器にもこれと全く同じことが言えるのである。

 

日々の中で様々なことに私たちは自分のリソースを使う。

 

人間関係、売買活動、仕事・経済活動、情報収集、睡眠などなど。

 

それぞれに必ず自分にとって本当に必要なものというのは、実は僅かであったりする。

 

それに如何に気づいて、処理をしていくかなのだが、これがなかなか出来ないのが業の深い人間の性なのだ。

 

決断力という概念

実例を上げよう。

 

最近は過去をあまり振り返りたくない気持ちになっているのだが、敢えてこの記事を成立させる為に書く。

 

例えば私で言うのであれば、2015年3月に一緒に生活していた人間たちと別れるという決断をしたから、今があるのは間違いない。

 

親友の彼の例を出すのであれば、やはり嫁さんと別れるという決断をして行動に踏み切ったから、今がある。

 

言い方は悪いが、それは別れという言葉の捨てる行為に他ならなかったのだ。

 

自分の時間をとられてしまう多くの物事。

 

それは人間関係が最も多いし、実は現代人のストレスの大半は人間関係にあるというのも皮肉な話。

 

人間だけに限らず、生活の中において、自分にとって必要な物、情報なども極々、僅かなのだ。

 

現代は安価であらゆる物と奉仕が無尽蔵に受け取れる凄まじい世界。

 

これらの中では、より捨てるということが重要。

 

そして、他人を見つめるよりも、自分を見つめて、己を知るという行為そのものに時間を費やした方がいいのだ。

 

さすれば、自分が本当に必要な人や物、情報が何なのかが分かってくるはずだし、分からなければおかしいのだ。

 

決断とは、決めて断つと書く。

 

決めたのならば、それと繋がるものは断つ必要がある。

 

もし、断てなければ、それに永久に引きづられていくと思ってもいい。

 

決断出来ない理由を最後に

基本的に決断力が無い人間というのは、何をデカいことを言っていたにせよ、自分で自分がよく分かっていない人に多い。

 

付け加えるならば、何かに影響されやすく自分で自分の人生を歩いていない人に多い。

 

そういう人間が93%占めているからこそ、社会の経済が成り立っているので、それが罪なことではないのだが、考えて欲しい。

 

決断が出来なかった為に、自分の人生や生活に過度なストレスを感じて、周囲に不平不満・愚痴・泣き言を吹いて回るようになる。

 

自分の周囲にいる人間は縁があった人物であり、本来は大事に敬意を払わなければならない存在。

 

そうした人間を不幸にする要因というのは、自分自身が自分の人生に関して、良い方に進むための決断が出来ていなかったからだ。

 

とにかく自分のシガラミとなるものを、決断によって無くしていく。

 

それによって、自分の器にはどんどん空白が出来る。

 

その空白に本当に自分の望むことばかりを入れることが出来れば、何をどういっても幸せがそこに現れる。

 

と、そんなお話です。

 

 

最後まで読んでくださってありがとうございます。

 

感謝してますよ~^^

 

それでは、まったね~(´Д°)ノシ