言葉に出来ない快楽と極致

最近、まるで現実ではない感覚に捉われることが多くなった私ですが、皆さま、いかがお過ごしでしょうか?

 

そいや先週末の台風が直撃した日、所々では酷い有様であったようですが、あの日のことは生涯、私は忘れることがないでしょう。

 

と、いうわけで今日も少々、思い出話を交えてのお話。。

 

言葉には出来ない快感

最近、見た映像作品で興味深い理屈を発見した。

 

これはジャンル的には大人ビデオ(ぶw)の類に属するのだが、それが理由でストリーミング購入したわけではない(^_^;)

 

この作品の監督は、やたらと人間の心の深淵を映像に残そうと躍起になる人。

 

昔から見たビデオの名前やおおまかな内容は知っていたものの、最近、ふと思うことがあり、ストリーミング購入に踏み切ったというわけだ。

 

その映像の内容の殆どは、私にとってはふ~~ん・・・ということばかりであった。

 

が、一つのシークエンスを見て、ある自分の記憶に残る”何でそうなったのか分からない”という、ある種の情動の疑問が氷解したのだ。

 

あの時の空は忘れない

この画像は私が作るスペースでは、よく使用するPic。

 

撮影したのは2013年12月29日 日曜日の午後16時前。

 

以前にも他記事で軽く書いているが、私は2013年という一年が、人生で一番、辛い年になった。

 

年末は年末で神奈川に泊りがけで仕事に行き、帰れない日々が続いた。

 

年末休みになり戻ってきた際には、居候先にある車を借りては色々と一人でドライブをするのが数少ない趣味となっていた。

 

この日もそんな感じで車を南に走らせて、何となく立ち寄ったのが晴海埠頭公園。

 

昼過ぎに一人で 路上駐車をして、公園へと入る。

 

閑散としており、人もまばらである。

 

雲一つない青空の中で16時前とはいえ、どこか夕方の雰囲気が漂っていた。

 

しかし、太陽の光はまるで金色であった。

 

ふと、公園内の綺麗に舗装された道を歩いていると、何かが躍動してくるような感覚に陥った。

 

近くには縁石に体育座りしている1人の若者がいたが、そんな金色の光を浴びて頭部を落としている。

 

それは落ち込んでいるというわけではなく、まるで気持ち良すぎて脱力している様にも思えた。

 

多分、その場にいた誰もが私が感じた何だか分からないけど気持ちの良い情動と感覚を感じていたに違いない。

 

人によっては品が無いと思われるかも知れないが、正直に話そう。

 

私はどういうわけかこの時、全く寸分も女性を意識していないのにも関わらずに勃起していたΣ(゚д゚;)

 

だから、更にどういうわけか分からなかったが、気持ちよかったのだ。

 

今まで全く味わったことがないような情動と身体に去来する感覚に・・・。

 

きっとそれはカタルシス

それからというもの、毎年、同じ気分を味わえるのではないか?と思い、年末の晴れている日を見計らっては、彼の地を訪れる。

 

残念ながら2013年12月29日の様な感覚は起きていないが、非常に気分が良くなる場所であることには変わりない。

 

更に残念なのだが、2019年10月1日から晴海ふ頭公園は閉園してしまった。

 

開園するのは来年のオリンピックが終わってからずっと先のことのようだ。

 

あの日に味わった感覚は

 

カタルシス

 

と、いう言葉が合致すると思ってやまない。

 

カタルシスというのは精神的浄化を意味している。

 

かといって宗教的なことを持ち出して、能書きを垂れている人間の理屈は全く信じないし聞く気はない。

 

カタルシスだとすれば、おいそれと狙ってそれを引き起こせるわけではないというのは納得がいく。

 

単純に空が雲一つない日を狙い、年末の寒い時期、時間帯などを合わせたとしても、その時の心境によって呼び起こされる情動は違うのだ。

 

そして前述したある映像作品をみて、氷解したことがある。

 

その映像作品のシークエンスを言葉にすることは躊躇われるが、要するにこういうことだ。

 

 自我を極限まで無くした状態で、自分の好きなことをすると凄まじく心地の良い情動と感覚が身体の芯から湧き上がる 

 

と、いうことか。

 

映像作品では対象者が何故だか知らないけど泣いてしまう。

 

周りにいた人間もただならぬ雰囲気に困惑しながらも、泣き出す他者の様子も映像に収めていた。

 

しかし、悲しいから泣いているわけでもなく、凄まじく心地が良かったのだ。

 

そのシークエンスを見た時に

 

カタルシス

 

と、呟いてしまった。

 

それと同時に・・・2013年12月29日のあの感覚を思い出して、疑問が氷解した。

 

あの時の私は精神的に無に近かったのだ。

 

2013年は人生で一番つらい年になったが、居候をしたときには、こんなことを思っていた。

 

・・・人間、所詮、思い出しか残らない。 物理的なことに依存することなどは無駄でしかない・・・

 

とね。

 

働く場所を見つけて、都合のいい様に扱われない様にという気概は持っていたにしろ、そこにはエゴというものはゼロではないにしろ、殆ど皆無であった。

 

年末はそれなりにハードであったし、それこそずっとサウナ住まいをしていたようなもんだ。

 

でも、それが辛いとも思わなかった。

 

辛いと思う感覚すら、もしかしたらなかったかも知れない。

 

そんな生活が続いた後に、長期の年末休みになり、何となく自分の好きな場所に訪れた時に。

 

好きな雲一つない青空と、眩いばかりの太陽の光、そして人もほとんどいない状況。

 

そして冬の香りがする気流と相まって、私に前述したような情動と感覚を起こしてくれたのだと思っている。

 

・・・無我・・・

 

それが無いと、どうやらカタルシスは起きないというのが、前述した映像作品を見て氷解した疑問の答えだった。

 

実は一度ではない

ちなみに私の場合は2013年12月29日に晴海で起きたカタルシスでは涙は出てこなかった。

 

ただ、ひたすら心地よく気持ちよくって、やたらと自分がポジティブな躍動感に包まれた。

 

過去にはいつだったかは定かではないが、子供の頃。

 

夏に田舎に帰った時。

 

叔父と叔母の運転する車の後部座席に座って、アップルロードを窓を開けて走っていた時。

 

夏だったけど、緑が豊富だったから暑くなかった。

 

心地良過ぎて急激な睡魔に襲われた時に、心底、思ったのは

 

ああ、このまま死んでもいいや・・・

 

って、思った。

 

何というか魂もっていかれる感覚というか何つーか(^_^;)

 

そのくらいに気持ちが良い感覚だったってことで、うまく言葉には出来ない。

 

でも、おそらくは分かる人には分かるんだよね・・・この情動と身体中の感覚。

 

ふむ・・・まあカタルシスとはいっても、人によって感じ方は違うのだろう。

 

それからだいぶ経って、20歳前半の時。

 

バンドマンだった私は自分の楽曲をバンドメンバーに渡して、初めて音合わせをした時。

 

凄まじく気持ちよくって、鳥肌が経った。

 

ちなみに他のメンバーも同じようなことを言ってました。

 

これも一種のカタルシスが起きたということなのだろう。

 

まあ、人によって感じ方は違うと思う。

 

映像作品の人たちの様に、心地よ過ぎて涙が出て脱力するという人もいれば、私の様に躍動感を感じて勃起することもあったり、良い意味で身体を明け渡してもいいという気持ちになったりとか。

 

私は信じていないけど、アゴリ僧などは凄まじい修行を終えた後、神を目にすることがあり、とめどなく涙が溢れるという。

 

それはカタルシスと言ってはいけないかも知れないけど、とにかく精神的に何らかの浄化が起きて、言葉にするのは難しい快感を感じることがある。

 

言いようのない快感や安らぎ、清々しさとか色々。

 

そしてそれは狙って何度でも起こせるものではなく、様々な状況と心境が整っていないと起きないコト。

 

んまあ、意図的にカタルシスが起こせるならば、それこそ真の意味で怖いものなんか何も無いしありえないし、何でもうまくいってしまいますからね(笑)

 

 

最後まで読んでくださってありがとうございます。

 

見つけてくれて、感謝してますよ~~。

 

では、まったね~(´Д°)ノシ