そろそろ春が近くなってきたのかな?って感じていて、気分が良い私ですが皆さま、いかがお過ごしでしょうか?
今回も『けーご』お得意の脱線しがちな講釈を垂れてみたいと思います(ぶぶw
私、ゲームチャンネルの配信で時折、こんなことを言うことがある。
『もし良かったら、適当にボール投げてくれると嬉しい。』
と。
所謂、ボールとは話のネタのこと。
何でこういう言い回しにするのかと言えば、何となく。
ダイレクトに来てくれた方々に『話のネタふってよ。』ってのも押し付けがましいからね。
何はともあれモノの言い方というのは、重要だと思っているし。
会話というのは私はいつしか『キャッチボール』であると思うようになった。
いつだったからか・・・定かではないけどね。
私は野球少年ではなかったけど、キャッチボールというその遊びは凄く好きだった。
うーん、思っているだけで一回もやってないけど、いつか天気の良い日に伸ちゃんとマッタリとキャッチボールが出来ればいいな。
って、話が逸れた。。
それはおいておいて・・・会話というのは、誰でも出来ることであり、人間の行為の中で極めて重要なものの一つ。
会話が全くない方が良い関係を築けるという間柄もあったりするけどね。
現在の世の中、昔の様に対面して五感フル稼働させなくても、自分とは違う他人と意志の疎通が容易に行われるインフラが整っている。
これは非常に良いことであり効率的。
だけど、対人関係の本質というのは、簡単に言えばキャッチボールが出来るか否かだと私は強く感じている。
私がよく使う言葉で『マウント』ということがある。
マウントとりたがちのヤツは、要するに『俺は・・・私は剛速球や変化球が投げれるから、ちゃんと受け取れよ?!』って言っている様なトンチキ(ぶw
あれだ・・・こういうのは下世話なコンサルとか教師とか、所謂、メンドくせーヤツに多いよね。
まあ、会話そのものを上達させたいならば、敢えてこういう奴らに乗っかって、高めるというのもアリっちゃアリだけどね。
だけど、受け取れないボールばかり投げられても、受ける側は全く面白くない。
それって、とどのつまり
『おまえとのキャッチボール、つまんねー。 だから、おまえは壁に向かって一人キャッチボールしてろよ?』
って具合になる。
うん、お互いに受け取れるボールを投げられてこそ、面白いという情動が湧き上がるというものですよ。
これら総じて『相性』が合う合わないということにも繋がるわけだけどね。
私が望むことは『いい気分だね・・・』という何気ない雰囲気の中で行うキャッチボールのみかね。
今まで色々な経験をしてきたから、多少は剛速球や変化球まみれのキャッチボールが出来る自信はあるけど、まあ、必要性は然程、ない(ぶw
要するに言いたいことは言葉を投げかける人、受け取る人には、それ相応の頭の良さだったり、相手を配慮する気持ち、何度も言うが相性が必要であると思われる。
で、こういうものは自然と身についてくるものであると私は感じているのだが、アンポンタンは何歳になっても分からないという悲劇があったりも?(;^ω^)
対人関係をキャッチボールと例えているわけだが、自分にとってつまらないボールを投げてくるヤツがいたならば・・・。
はじめからボールを受け取らないで、それが例え自分のグローブ以外のところにぶつかっても、遊ばないってことですね。
デッドボールになってもキニシナイことが重要かな?
言葉をボールに例えているわけだが、無数のボールが錯綜しているのが現代。
自分にとって良いボールを投げてくれる人、自分の投げるボールをしっかりと気分よく受けてくれる人と会えることが有意義さに繋がると私は思っている。
人間関係とかに満たされてない人は、自分がそもそも人が受け取りやすいボールを投げているのか?ということに注目した方がいい。
また、自分自身がそもそも受けたいボールの類はどういうものなのかをハッキリとしていたほうがいい。
合わない人間とは初っ端からそのボールを受け取らない、自分もボールを投げないという行為が望ましい。
それが分からないで、ただキャッチボールしたいというのであれば、結構、無駄が多くなるしデッドボールまみれのプレイばかりになることに繋がります。