Body sonic syndrome

相変わらず自分の目の前にある状況のほぼ全てを楽しんでいる『けーご』ですが、皆さま、いかがお過ごしでしょうか?

 

数か月前の私と違って、若干、何らかしらの心情や心境を外に投げかけていることが多かったりします。

 

ブログ書いているのも楽しいし、幻クリ(ゲーム)も楽しくやっているし、経済活動もいい具合。

 

TwitterなどのSNSに、独り言や自分への問いかけなどを投稿してレスポンスが来ること、それだけが嬉しい。

 

まあ、本当に良い時代とインフラが整っていることを実感していますがね。

 

記事タイトルのBody sonic syndromeに、然程、深い意味はなかったりします。

 

ニュアンスで捉えてくれるといいのですが、直訳すると身体の音波の症候群という意味不明な答えになる。

 

これを説明する為だけに一記事を書こうとする『けーご』も相当、イッちゃっていると思いますが、敢えて(笑)

 

言霊という概念があったりします。

 

自分が発した言葉は、ある種の生命体のようなものであり、それは他の他人に影響を及ぼすという概念ですね。

 

世間一般的に認知されている『霊』とかは一切、信じることが無くなった私ですが、今はこうも思うのですよ。

 

古の人々は『霊』とは何かを具体的に表現することが出来なかったから、神秘的なものに結び付けて、想像して概念を作り出していったものである。

 

とね。

 

まあ、オカルトについてはこの位にして、大事なこと。

 

言葉を操り自由自在に活用できるのは、人間だけであり、だからこそ生態系の頂点に君臨出来ているということ。

 

その言葉はエネルギーそのものであり、それが似ている属性を持つ人間と引き合うことがあるということ。

 

これが『言霊』の答えであると私は思っている。

 

現在は直接的に言葉を交わす『会話』、『対話』という行為が無くても、間接的に他者に言葉を投げかける手段に満ち溢れている。

 

以前は文献だけだったけど、新聞が生まれ、電波に乗せた伝達手段ラジオ、テレビが隆盛を極めた。

 

その後はインターネットが台頭してきて、それに付随してWebサイト、動画投稿サイト、掲示板、チャット、SNSが誕生して爆発的な普及をしている昨今。

 

だからこそ自分にとって必要不必要を見極めなければならないわけだが、これはリテラシーの問題になるので割愛。

 

前述したこの部分。

 

直接的に言葉を交わす『会話』、『対話』という行為が無くても、間接的に他者に言葉を投げかける手段

 

ここには確実に言葉があり、その言葉を作り出しているのは意志の通った人間なのだ。

 

発した言葉・・・投げかけた言葉が真実だろうが嘘であろうが、それを受け取った他人は自分の情動に左右されて繋がりが誕生する。

 

そして人間というのは生物であり、ナマモノである為に、時間の経過と供に物事の受け捉え方が変化することが多い。

 

なので、出会いがあり別れがあったりするし、喧嘩したり愛し合ったり出来るのですね。

 

要するに答えとしては、自分が何かを投げかけると、何かしら返って来る。

 

見つけてくれる人がいて、その人と良くも悪くも繋がれる。

 

あとはどちらかの選択に委ねられる。

 

こんな感じ。

 

それに満ち満ちているのが我々が今、この瞬間生きている現代というわけである。

 

つまりBody sonic syndromeと、いうのは我々、情報化社会をうまく自分の生活に取り入れて活用できている人間全てが病気ってのが私の考え方かな?

 

病気というとネガティブにな印象があるけど、よい病気だったら何の問題も無い。

 

これって心の問題であることが多く、物理的に何かに不自由であるという状態を除けば、心情が一方的で一つのことに捉われている状態。

 

んまあ、93%の人は心情的にはネガティブに偏っているから、悪い方向に行きがちなんだけどね(^_^;)

 

って、話が逸れた・・・。

 

話を元に戻すと、我々、情報化社会の活用方法を心得て、日々の生活に役立てている者達は一つの集合体となっているということです。

 

だからといって、みんな、仲良くお友達だよぉ~~♡(#^.^#)っていう、ペラペラなことが言いたいのではない。

 

そんな集合体の中で、自分自身がいかに自分の存在と人生を幸福に満たすか?

 

出来ればそんな自分自身に好意を持ってくれる他の存在をも、お互いにWin-Winな状態にすることが出来るのか?

 

それが問われていくと思っている。

 

そしてそれを能動的に行動出来る様になるのが、誰でも出来る世の中への良き貢献であるのだが。