属性相性と本質を少し垣間見る話

日常のささやかな営みに感謝して、眠らない世界を観察し続けている『けーご』ですが、皆さま、いかがお過ごしですか?

 

今回はあくまで私の定義であって、過去の蒼い頃に色々思っていたことを焼き直しする文章になります。

 

まあ、香ばしい駄文と思っていただければ幸いです。

 

元はやはりゲームから

以前、私は『Wizardly』という家ゲーにハマってましてね。

 

攻略本は非常に重厚でゲームと関係ない世界観や哲学チックなことも熱く述べられていた本で、ガキで多感な頃の私は随分と魅せられた。


このゲームの中で割と需要な要素に『属性』と『クラス』というものがありました。

 

『属性』というのは三つありまして、善・中立・悪であり、『クラス』は戦士、僧侶、盗賊、魔法使い、侍、君主、司祭、忍者の8つ。
(後作はクラスとか色々と他に沢山あるが、これはあくまで初期の頃のWizardly)

例えば忍者というクラスになれるのは、属性が悪のキャラクターに限るとか、君主は善のキャラクターにしかなれないというルールがあったりしました。

 

仕様を駆使して、善の忍者を作りだすことも可能だったりしますが、装備品の兼ね合いなんかにより忍者は悪で使ったほうが絶対に強いということもあったり。

 

何にせよ、このWizardlyのシステムが非常に面白いと感じました。

 

そして、私はこんなことも考えた。

 

あー、これって現実の人間にも当てはまるかも??

 

ってね。

 

当時は4つに分類していた

まだ蒼くあらゆる経験も乏しい頃でありましたが、こんな感じでWizardlyの世界観と現実の人間などを定義したことがあった。

 

善・・・自分を犠牲にして、他人の為に力を尽くすタイプ。

中立・・・とにかく周りに合わせて、自分の形が無いタイプ。

悪・・・自分のあらゆる利益、思いの為に動くタイプ。

鬼畜・・・理由無く、快楽的に弱き存在を蹂躙してヨダレ流すタイプ。

 

実際には明らかに善人だってことを言ったりやったりしている人も、自分自身がそうしちゃいたくなる。と思って、やっているから定義はあまり説得力はない。

 

でも、実際に私は善から悪に転化したタイプであるのだろうと自覚している。

 

悪と言うとその文字の通り『悪い』という輩に思う人間が大半だろうね。

 

でも、世間一般的に言われる悪とはいささか違う。

 

『悪い』というコト、そのものの本質というのは、

 

”他人や他の存在に損失を与える行為”

 

という意味で私は考えている。

 

そうなってくると、実は本当に悪いというのは、私の定義した属性であると『鬼畜』の部類に当て嵌まるのだ。

 

短絡的には『悪い』と思ったことと言え、それがあったから未来、幸せになれたということだってある。

 

なので、世間一般的に言われている悪の意味付けや定義というのが、いかにお粗末なのかが窺い知れることもあるのですよ。

 

それに言っていること、やっていることが明らかに真面目で善人であったにせよ、実はそれはお芝居で凄まじく邪悪な人間であったという者も少なからずいるしね(笑)

 

近年で他人事でも許せないと思って、署名活動に参加してしまった例がある。

 

埼玉のある元税理士が夜な夜な多数の野良猫に凄まじい虐待を加えて殺し、それをビデオに撮って流して同じ属性の鬼畜どもから、神扱いされていたという事件。

 

これは完全に鬼畜であり、私の中では最も忌み嫌う クサレ外道 の域に達する属性の持ち主。

 

と、こんな感じで私の中では簡単にではあるけど、人間の本質を区別していたりすることがあるってことです。

 

更にこの属性の定義の中にはレベルというものがあったりするが、それは割愛・・・。

 

属性相性合わなければ不快そのもの

善・中立・悪・鬼畜というのは、あくまで人間の本質に根差す簡単な区分けみたいな感じ。

 

現実社会ではありとあらゆる属性がいる。

 

真面目で普通の人だけど、属性違えば言っていることが分からないし、共感できないし、時間の無駄に感じる。

 

安心安定をくれている会社の愚痴、不平不満ばかり言っている人間なんかは私からすれば、『アンポンタン』そのものであり、嫌なら辞めて起業しろよって思っちゃう。
(まあ、出来ないチキンどもなんですけどね・・・こういう奴らは(`▽´)凸)

 

私からすれば『悪い』人たちで、自分自身、どれだけ幸せなのか分かっていないので、結局、自分の首を絞めて周りに不幸をもたらす存在になる。

 

でも、それが実は普通であったりするわけですがね。

 

普通ってのも数で決まっちゃうしねぇ。。

 

他の例えで言えば、ゲーム大好きな人がいたとして、ゲーム生活そのものに生きる目的を見出している人も多い。

 

なのに、そういう属性の人に憂国である日本を世直しする為に一緒に行動しましょう!なんてことを言ったところで、響くことは無い。

 

ゲーム生活をもっと良いものにしていきたいという属性の人からすれば、世直し組織なんかの勧誘などははぁ??勝手にやってろよ!(´Д°)凸って感じだろう。

 

属性違えば、やっていることそのものが悪いことになってしまったりもするし、幸せどころか不幸や不快を与えることになることは重々、理解しておきたいものだよね。

 

そこは落とし穴か覚醒なのか?

ちなみに冒頭で出したWizardlyの話に戻る。

 

ゲームに仕様上、例えば最強のクラスである忍者は、属性が善で設定されたキャラクターはなることが出来ないルールがある。

 

悪にはなれないはずの君主というクラスもいる。

 

だけど、敵と遭遇した時に、善は善の行い、悪には悪の行い、セオリーがあるのだが、それを破ると一定の確率で属性が逆転することがある。

 

これを意図的に狙ってゲーム上では悪の君主とかを作ることも可能だった。

 

Wizardlyでは基本的には属性、相反する善と悪は同じパーティーで一緒に戦うことは例外を除いては出来ないというルールがあったから。

 

だけど、編成上で忍者と君主を一緒に組ますということをする為には、君主を悪にするということをすれば、可能だったりする。

 

現実世界において、自分の属性が変化してしまうことがある。

 

それが意図的に仕掛けられたものならば、教育とか洗脳と言えるし、能動的に変化したのならば、成長とかと言ったりできる。

 

大抵は自分の本質からはみ出て、属性が違う人間と供に歩まなければならなくなったら、多大なストレスと不幸を感じることになるわけだ。

 

が、長い目で見て良かったと思うことになるかも知れない。

 

それが所謂、現実社会の生活の中ではトライ&エラーというやつであったりもするし、人生経験というやつである。

 

しかし、出来ることならば落とし穴にハマらずに、効率よく自分の人生を歩み楽しく過ごしていけるのが、理想的。

 

そして、そうすることが出来れば、本当の意味で自分自身を他人に示しながら、Win-Winな関係を作れるというのは、間違いない事実であるのだ。

 


自分の属性は一体、何なのか?を自分自身で把握する必要がある。 それが自分の強みになることが、多々あるので気づかないのは非常に勿体ないことだ。

最後まで読んでくれてありがとうございます。

 

いつも感謝してますぜ~♪

 

では、まったね~(´Д°)ノシ