2019年10月23日の投稿文の改作。
あの時とは少々、心境も生活環境も違っているので、現在の状況を踏まえた上で内容を加筆修正してみようと思う。
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以前の記事で多少、自分に陥っている心の状況は快方に向かっているようだ。
と、いっても何気にあの時も、それまでも、現在も非常に幸せを実感していたりはするのですけどね。
過去を振り返ってみる良い機会が毎年、イベントの様に起きるということでいいでしょう。
そんなわけで今宵も書いてみようか。
アンブロシアに深い意味はない
アンブロシアとはギリシア神話に出てくる神々の食べ物であるそうだ。
今回の記事タイトルのアンブロシアの風というのは、ただ何となくつけただけ。
今日、言いたいこととアンブロシアは結びつきはないが、イメージ的に私の感覚から、ある『風』をそう呼ぶことにしている。
そもそも私の中でアンブロシアというのは、昔、遊んだRPGゲームに登場する所謂、『異世界にある大陸』の名前として理解している。
子供心にそのゲームの中に登場するアンブロシアは幻想的でありノスタルジックであることが植え付けられたというわけだ。
(ちなみにゲーム中のアンブロシアのBGMは秀逸である。)
そして、『すごく遠い。』、『辿り着くことが難しい場所や領域・・・』と、いうような象徴としてアンブロシアという単語は刻み込まれている。
その風はいつ吹くのか? 吹かせるのか?
人間の多くは自分なりの理想などを少なからず持っている。
多くの人間はそれを叶えることが出来ずに、日々の生活のストレスや重圧、関わる人間などの影響を受けて、いつしか理想を忘却してしまったり、無理であると諦める。
言ってしまえば、それが普通なのだ。
だが、現実を見た上で理想を求めて、具現化しようとする者には、いつか必ず『機会』が到来するといっていい。
私はそれを『風』と呼ぶことがあるのだ。
中国の歴史で三国志というものがあるが、登場人物の一人・諸葛孔明が呉の国と組んで曹操率いる大量の魏の水軍を破るという屈指の見せ場がある。
その際、諸葛孔明は『東南の風』を奇術によって吹かせて、火攻めで曹操を敗走させた。
しかし、異説によると諸葛孔明は奇術を用いて、風を吹かせたわけではなく、彼の地(レッドクリフ=赤壁)に逆風である東南の風がある数日間に渡って吹く傾向があることを知っていた。
なので、そこに決戦のタイミングを合わせる様に尽力したのだった。
風が吹くことを知っていたとしても、その風をどうやって使うのかが分かっていなければ、単なる自然現象で終わってしまう。
また風が吹くのを待つだけではなく、どうやって風を吹かせるのか?と、いう考えと行動も必要だ。
ちなみによく聞く格言?めいたもので、こんなのがある。
『人生には三回、大きなチャンスがある。』
と、いうものだ。
ハッキリ言って、今の私からすればNOと断言出来る。
チャンス=機会=風は長い人生のおいて、たった三回ではなく、無尽蔵にあるものだ。
自分が何を意識して、どうなりたいのか?によっては、機会は腐るほどあるし、その為の風はいつだって吹いている。
あとはそれに乗れるか乗れないか?
使うか使わないか?
気づくか気づかないかの違いだけでしかないのだ。
アンブロシアの風に乗って
自分の理想を具現化する為の機会を私は『アンブロシアの風』と呼んでいる。
昔は『東南の風』と言っていたりもしたが、今は違う。
その理由は前述した通りであり、その理想を具現化することは易々と出来ることではないことを知っているから。
更に言えば、時間の経過や運、タイミングを合わせる行動も必要であることが、今の段階で分かっているからだ。
しかし、それは決して不可能であるとは思っていない。
実現不可能なことは基本的に自分の心の意識下に現れることは無いし、不可能なことをやろうとするのは愚者の考え方だ。
出来ないと考える前に、出来る方法を探したりイメージすることが前向きであるし、誰にでも今すぐ出来る行動の一つ。
行動していれば、徐々に小さな風が吹き、いずれバタフライエフェクトが発動して大きな風となる。
それがいつしかアンブロシアの風に変わる。
以前の経済活動などで、これは如実に体感していることであるので、間違いないと断言出来るのだ。
アンブロシアの風に乗った時には、おそらく自分がそれまでいた空間は別の世界の様に見える。
そして、次第にそれまでいた空間には、若干の居心地の悪さを感じるようになり、巣立ちを迎えていくのかも知れない。
守るべきたった二つのルール
前述した様に自分の理想というべき生活や状況などを持っているとする。
それを具現化する為には、絶対に守らなければいけないルールが二つある。
一つは他人を頼ってはいけないということである。
何故ならば他人も自分の為に生きているのであるので、共通する利害関係が無ければ、いつしか必ずその関係は破綻するか水泡に喫する。
自分が他人の心を変えられると思うのは、傲慢な考え方である。
もしも変えようと思うのならば、まずは自分から変わっていくということが賢明であるが、全て自分の思い通りに運ぶことは無いと思った方がいい。
自分の理想はあくまで自分の為だけのものなので、他人を必要以上に巻き込むことは絶対に避けた方がいいだろう。
もう一つは理想とするイメージを絶対に忘れないということである。
人間は日々、多くの重圧と誰かの影響などを意識的・無意識的に受け続けて生きている。
その際、重圧と影響によって、他人の方が正しく見えてしまったりもするし、自分自身が外部と比べて劣っていると錯覚してしまう。
そうなれば理想を具現化し、風を吹かせようとか、その風に乗ろうとする自分自身の行動を抑制してしまったりする。
所謂、『自信がない』という情動だ。
そうなってしまっては、沢山の機会に気づくことも出来ずに、きっと10年前、20年前と変わらない人生を歩んでいることになる。
あくまで理想というものがあるのならの話であり、それすら持ったことが無い人間には、そもそもこの記事を読む必要性はないだろう。
なので、絶対に理想とするイメージや理想を望む気持ちは、忘れないようにすることだ。
もう一つ付け加えるならば、その理想は多くの場合は他人においそれと公言してはならないということ。
自分の理想とは、あくまで自分の為に存在するのであって、他人には理想ではないと思った方がいい。
ならば、自分自身の理想の追求に関して、多くの人間は否定的になっていく可能性が大。
なので自分の理想を他人に言うということは、なるべく控えた方がいいということだ。
もちろん言ってみなければ分からないことではあるのだが、もしも、自分の理想を公言したとする。
聞いてくれた他人が、それを応援してくれたり、理解を示してくれたのならば、それこそ真の友達や理解者となりえる可能性がある。
それだけで判断することは早計であるが、そんな人間こそ、もしかしたら出会うべくして出会った縁のある人なのかも知れない。
・・・まあ、大抵はそんなロマンティックなことは無いわけだが(笑)
多くの人間は、他人の理想に関して否定的にみて、自己承認欲求を満たそうとするし、自我欲を押し付けてこようとする者達ばかりだからだ。
おわりに
今回はアンブロシアの風という題名で、自分が大事にしている考え方を書いてみた。
自分の理想とするイメージや在り方を最初に作ってしまって、それを忘れないようにする。
そこからが始まりであり、それを忘れなければ、それに関係する風が吹く。
その風がいつしかアンブロシアの風になり、自分のそれまでの世界を一変させるということになっていく。
つまり、これは言い方を変えれば、過去に捉われるのではなく、未来を常に見続けているということなのだ。
自分の意識が未来に向かっているのならば、時間の経過と供に100%イメージ通りではなかったにせよ、それに近いものが自ずと現れるということになる。
現在も私は幸せであるが、アンブロシアの風が吹く時を待っている。
待つのも実は行動の一つであると言えるのだが、それはまた別の話。
自分が求めるものを忘れておらずに掴むという渇望が消えていないならば、その手助けとなる『風』は確実に吹くと思っていい。
最後まで読んでくれてありがとう。
見つけてくれて、感謝してますよ~♪
Everything is going well!! 全てはうまくいきます。
では、まったね~(´Д°)ノシ