アフィカスは最近、とんと聞かなくなりましたが、今でも広告を挿入しているメディアは『うざい』とか『〇ソ』って言われる傾向があるようだ。
先日、私が以前からよく見ているYouTubeのあるチャンネルの主に対しても『広告いれてんじゃねえよ、クズ。』なとと書いている輩もいた。
そんなわけで今日はアフィカスの意味と、広告というものの恩恵や弊害に対して書いてみます。
アフィカスの意味
アフィカスとは『アフィリエイト』と『カス』をくっつけた、スラングである。
アフィリエイトは広告主が広告を発行を使用して、利益が生まれた際、メディア側に対して一定の成功報酬を支払うこと。
それとカスをくっつけたもの。
一部のインターネットユーザーの中では、極端にアフィリエイトを嫌う人間がいる。
メディア側が広告をいれていると、それに対して嫌悪感を示して、誹謗中傷に走るのだ。
メディアといってもそれは多数。
各種SNS、YouTube、Webサイトと多岐にわたる。
確かに広告だらけの情報メディアは見るに堪えないし、私もそういったサイトやムービーは大人しく✖を押して、見なかったことにする(笑)
アフィカスと言う人間は情弱?
しかし、私はアフィカスという人間たちに対しては、情弱であると感じることも少なくないし、乞食であるとも感じる時がある。
以前、私もどちらかといえば、広告がうざいと感じるユーザー寄りの人間であった。
だが、今はそうではなく、むしろそんな広告があるからこそ、事実上、無料で便利なネット上のツールが使えると考えている。
例えばGoogleマップ。
行ったことのない場所に車で向かう場合、今の私にはGoogleマップは欠かせないツールになっている。
私の車にはナビがないのは、このためだ。
むしろナビは『無用の長物』と化していると私は思っているし、Googleマップを使うのに、一円もお金を払ったことは無い。
Googleマップに限らず、閲覧するのに一円もお金をかからないメディアは多数ある。
これだけ便利なメディアやツールが、タダで使えるのも何故なのかと言えば、広告というものがあるからである。
タダで使えるものには広告があるわけで、一定の確率でその広告から物を買うユーザーがいるからこそ、無料で使えているという現状を理解してなければならない。
つまり、そういったものに対して『アフィカス、〇ね』と侮蔑をこめるのは、自分自身が貰うことばかり、与えられることしか考えていない乞食であると自ら認めているようなものだ。
[sp]
[ad#co-1]
[/sp]
その広告から買うも買わないも自由
テレビなどのメディアにもコマーシャルがあるように、情報産業というのは、広告によって成り立っている。
それはインターネット上では、更に顕著に現れている。
しかし、その広告を切欠にしてお金を使うも使わないのも、その人間の自由であるし、見るも見ないも自由。
買いたくないなら無視すればいいだけだし、見たくないならば立ち去ればいいだけの話。
アフィカスという言葉、そのものに自分以外の周りに、ボランティアを求めるという意味が込められているような気がしてならないと私は考えてしまう。
だから、あまり私はこの言葉が好きでなないが、確かにアフィカスと言われても仕方がない位の酷いメディアがあるのも事実。
コンテンツよりも広告の方が目立つというメディアも少なくはないし、それは見るに堪えない。
せっかく、コンテンツそのものに価値があったにしろ、これでは台無しであると言わざる得ない。
アフィカスと言わなくてもいいツール
何にせよ広告によって、無料で使えるという行為が支えられているわけだが、広告がウザいという気持ちも分かる。
『このアフィカス!』と言いたくなる場合もあったりするのは、それは致し方ないとも思う。
だったら、自分自身のインターネット環境において、広告が表示されないようにすればいいだけの話である。
ちなみに広告の有難みが分かっている私ではあるが、アフィカスと言われても仕方がないメディアに対しての対処として、一つのツールがあったりする。
それは明日の記事でつづってみようと思います。
まあ、個人的には『アフィカスはゴミ』と言っているユーザーも、言われても仕方がないメディアも、笑える部分もあったりするんですがね。
下衆な笑いが込み上げてくるという意味で(笑)
アフィカスなどと言う前に、そういう言葉を吐きたくないようにすればいいだけの話。 方法はいくらでもある。
最後まで読んでくださって
ありがとうございます。
感謝しております。
Everything is going well!!
全てはうまく行きます。
それでは、またね^^