普通じゃできないことを出来る人間こそ、何かを残せるというもの。

そもそも誰でも出来ることをやっただけでは、どうにもならないというのは、誰でも知っていること。

しかし、果たしてそうだろうか?

今日はそんなお話。

 

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普通じゃできないことをしている人

普通じゃできないことをしている人は、必ず大きな時間と気力を未来に投資していると言える。

例外的に言うのであれば、お金を目的の為に投資することで、大きな時間と気力を大幅に短縮することが出来るが、ここではそれは語らない。

そもそも普通じゃできないことをやり遂げている人も、最初はゼロベースだったはずである。

ゼロから長い時間と気力をかけて、他の追従を許さないくらいの高みに行くことが出来たのだ。

こういう者を天才とか神と人は言うのだが、実は誰でも出来ることを、ただひたすらやり続けたからに他ならない。

理屈にすると簡単である。

 

そもそも普通の定義とは?

普通と言われて、何をもって普通と言うのかに疑問を持つ人もいるだろう。

単純にこれは数である。

多くの人間がやっている知っている使っているできること

それが普通であるということ。

と、いうことは多くの人間がやらないこと、知らないこと、使っていないもの、できないことが普通じゃないということに他ならない。

ここでは、やらないことと、できないことに焦点を絞りたい。

その多くは非常に簡単なことである。


実は簡単なことの積み重ね

やらないことというのは、云わば痛みを伴うことである。

痛みと言うのは、退屈や単純、地味、面倒、時間を多く使うことなどにおける、ストレスがかかりやすいことだ。

ところが実はここと向き合って繰り返し出来るようになることが非常に重要なのである。

そして得たもの、創ったものの量が多ければ多いほど、他の人から見ればできないことに見えるようになる。

しかし、その根本はやらないことを繰り返したからなのだ。

赤ん坊にいきなり作文を書いてくれといっても出来るわけがない。

だが、言葉を覚えて、あらゆるものを吸収したら、短文は書けるようになる。

そして、長文は書けるようになり、一冊の本を書こうと思えば書けるようになるものだ。

 

執念や楽しさが後に習慣となる

前述した痛みを伴うことを継続するには、もはや執念というものが必要となる。

執念を持ちすぎると、不幸になる物事もあったりするが、何かを創り形に残す為には執念深くないと、とてもではないが続けられない。

確実に時間がかかることというのは、沢山あるからだ。

それは100人の力、1000人の力、10000人の力を持ってしても、一日で出来るではないこともあるから。

執念というものがネガティブで気負いなものであると感じるならば、継続する為に必要なもう一つの気持ちは楽しいという感情を持つこと。

しかし、これらは感情の力なので、波がある。

ところが継続した物事というのは、ある時を境にして習慣となり何も考えなくてもやるのが当たり前の様な状態になる。

そうした状態になると時間と供に完全にその物事に対して一流となっていく。

 


普通じゃないことを続けて得た考え方・知識・技能は、自分にとって大きな武器となる。 武器になるまではただひたすらそれを育てることが重要。

最後まで読んでくださって

ありがとうございます。

感謝しております。

Everything is going well!!

全てはうまく行きます。

それでは、またね^^

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