最近、梅雨ということもあってか、エアコンを頼る必要がない日々。
雨はあまり好きではないが、冷暖房に頼らなくても過ごせるという状態は嬉しい。
月末には本格的に暑くなっていくのでしょうが、そんなことを考えて更新してみよう。
その螺旋構造に意味はあるのか?
世俗的なことに対して、必要以上に『見ない』『読まない』『信じない』というスタンスを貫いている私。
そもそも私の未来には、それらの殆どが全く必要であると感じないし、手に入れたいと思うモノも少ないからだ。
こんな経験、ない?
あれだけ欲しかったものが手に入ったのに、手に入ってみたら・・・こんなもんなの??(^_^;)
と、いう気持ち。
こういう時って何か空虚な気分になっていくし、脱力感が半端ない。
金では買えない『達成感』も薄いそんな感情は、要するに・・・
”その渇望は己のものではなく、他人から与えられた欲望そのものであり、自分が真に望んだものではない”
と、いうことなのだ。
空虚な気分を埋めるように、自分以外の存在に目を向けて、時に流されてしまったりすることも多いのではないだろうか?
それは結局、同じことの繰り返しということであり、これに気づいていない人が多い。
私もそのスパイラル(螺旋構造)を理解するのに数十年かかってしまった気がする。
(30代半ばまで、全く気づかなかった(;^ω^))
当然、メリットはある。
何はともあれ孤独感を感じることが少ないから、心地良かったりする。
自分の過去を振り返ってみても、決してそんな思い出の多くを否定しているわけではない。
だが、私は違う方向に進んでいる。
自分で作り出す螺旋構造
自分以外の他人を頼ったら、当然、孤独感を感じることは無い。
場合によっては、望んでいる結果に対しての時間に代表されるコストを削減出来たりもする。
しかし、私の中では、認めざる得ない恩恵がそこにはあるものの、それ以上に堪え難きものも含まれている気がするのだ。
だから私はとにかく自分でやってみるということを大事に思っている。
参考材料として色々、紐解くことをすることはあるものの、決して頼りにはしないし、間違っても影響されたりはしない。
断言出来ることは、7月7日を第二の誕生日と定めた『あの時』から、自分自身の心の力の源である『魂』を誰かに売ったり、譲り渡したりしたことは無い。
感謝している人たちは、沢山いる。
2017年春まで勤めた会社そのものや、そこで一緒に働いた人たち。
インターネット上で知り合い深い人間関係を築いた人間。
昔から変わらず私の傍にいてくれるKOUや、親友。
やりたいようにやっている私の力になってくれている税理士さん。
昔から何かあったら力になってくれる頼れる弁護士さん。
私に投資というものを教えてくれたリアルでは会ったこともない先生。
それら全ての人間の存在を蔑ろにして、さも自分一人だけで今の様になったというアンポンタンな発想は持ってはいない。
しかし、日々の営みや新しいことを始める際に、直接、依存して結果を出したという人間はいないし、望んでもいなかった。
一日、一か月、一年と営む中で、誰かに金を出してもらったこともないし、精神的に支えになってくれたという人間もいない。
だから、シガラミが無い状態で、好きに生きれているのだ。
誰の答えでもなく、自分の答えを求めて生きている。
自分自身が好きな事ならば、寝食を忘れて打ち込めるし、そこにストレスなどはない。
だから、健康体を保つことも出来るし、自分にとって良い結果が出ない方がおかしいのだ。
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己と向き合う日々
ただし、誰も助けてくれない状況にいるからこそ、自分でやらなければならない。
人によっては『面倒くさい。』『寂しい。』『退屈だ。』『気が狂いそう。』って思うんだろうね。
でも、私にはこの位が丁度いい。
己と向き合える状況を作った過去の自分にも感謝している。
そして、それが許される現在の社会構造にも同じ位に感謝しているのだ。
(若干、気に食わないところは幾つかあるが、それは別の話)
だからこそ、自分を向き合っている時間が非常に多いと感じて止まない。
そしてそれこそが本当の自分が望むものを見つけられる唯一の近道であると信じているし、そうであると断言出来る。
そんな生活をこれからもずっと続けていくだろう。
迷いも一切ないし、それもまた私がやりたいことの一つでもあるのだ。
まあ、いささか、誰もあまりやったことがないであろうことをやろうとしているので、若干、不安を感じることもあったりするのは正直な気持ち(;^ω^)
まだ、その点は私もメンタルが弱いところではあるんでしょうけどね(笑)
一番は気づけたこと
こんな生き方が出来ているのも、前述したように自分がそれを望んだからである。
それと供に時代の流れも味方してくれたとも感じる。
ハッキリ言って、昭和の時代であったら、こんな生き方は許されなかっただろうし、誰かに流されていなければ生きていけなかったろう。
充分、そんな世界でも生き残っていける自信はあるものの、非常につまらないなーって常に思いながら、老けこんでいっただろう(笑)
しかし、前者の螺旋を自分からぶっ壊したことによって、それが出来る社会であったんだと気づけたのは、何はともあれラッキーであったと断言出来る。
正直、まだ私は若干の不足感を感じてはいるので、それを埋める為に楽しみながらリアルオンラインを遊んでいく。
・・・あと1460日。
『私は望む。未来に見える黄金の光を。』
最後まで読んでくださって
ありがとうございます。
感謝しております。
Everything is going well!!
全てはうまく行きます。
それでは、またね^^